(中山神社から) 2022.7.2 宇倍神社 津山から那岐山麓を越えて 鳥取県に入る。因幡の国だ。 立ち別れ いなばの山の峰に生ふる 松とし聞かば 今帰り来む 暗記した百人一首も すっかり忘れてしまった。 千代川沿いに国道を下り、 鳥取市街に入る。 暑いためか人通りなし。 美作の国と同様、 一宮は国府跡の近くにあった。 |
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宇倍神社 美しい建物だ。 |
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参拝 |
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祭神は、武内宿禰 神話の世界といえども、 360歳で亡くなったというのは 如何なものか。 あまりに明らかな嘘ではないか。 ありがた味が薄れる。 |
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扁額 因幡一宮 神紋は亀崩 背後の亀金丘のデザインだろうか。 |
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本殿は648年の創建以来、 何度も再建された。 現在の社殿は明治31年の再建 |
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美しい檜皮葺 shrine brown |
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本来の祭神は、 稲葉国造の祖、彦多都彦命とする説、 明治30年まで代々宮司だった 伊福部(イフクベ、イオキベ)氏の祖神、 武牟口命とする説などがある。 これらの諸説の方が 武内宿禰より、よっぽどスッキリする。 |
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武内宿禰命終焉地の碑があった。 伝承は因幡風土記によるらしい。 |
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神社の裏手に双履石があった。 |
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武内宿禰昇天の霊石とのこと 実は伊福部氏の古墳のようだ。 伊福部氏には古系図が残され 気吹(イフク)部臣を賜うとある。 「たたら」の際、炉に風を送る ふいご(たたら)に携わった 製銅、製鉄の部民と云われる。 全国の「伊福、伊吹」地名の 背後にしばしば銅鉱があり、 付近から銅鐸が出土している。 |
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双履石から眺める本殿 |
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表の鳥居に立ち寄る。 何のクラブだろうか。 休憩中だった。 |
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獅子舞は因幡特有の 麒麟獅子舞 宇倍神社から鳥取砂丘へ向かう。 カーナビと案内看板に惑わされ、 大回りして砂丘に着いた。 太陽ギラギラ。 砂漠散策には最悪だろう。 暑い。 しかし、せっかくここまできて、 行かない訳にはいかない。 傘をさして、 首筋に氷ペットを当てながら、 歩いて行った。 |
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広大な鳥取砂丘 風が吹いて、 なんとか暑さをしのぐことができた。 |
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おお!日本海 |
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黄金の砂と海の青のコントラスト 中国山地の砂が、千代川によって海へ流され 沿岸流と波により、岸へ打ち上げられ 強い風により内陸へとばされ 鳥取砂丘ができあがった。 「たたら製鉄」の「かんな流し」 による人為的な山砂の大量流出も 関係したのかもしれない。 倭文神社へ |