(宇部神社から) 2022.7.2 倭文(しとり)神社 鳥取砂丘から海岸道路を西へ向かう。 途中、因幡の白うさぎで有名な 白兎海岸を通り過ぎる。 海を越えて来たシロウサギというのは シラギの比喩ではないかと 推察するが、どうだろうか。 因幡から伯耆へ入る。 東郷池沿いから小高い丘 を上っていくと鳥居が出て来た。 |
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倭文神社に到着したようだ。 一宮とは思えない 寂しい雰囲気だ。 |
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由緒書 主祭神は、建葉槌(たけはづち)命 下照姫命他も祭神となっている。 倭文と書いて「しとり」とは 知らなければ読めない。 今回の旅行先、山陰地方にはそのような なかなか読めない地名が多い。 伯耆(ホウキ)にしてもそうだ。 伯耆二宮の波波伎神社の ハハキが転じてホウキに なった説があるらしい。 |
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石の扁額 倭文(しず、昔はしつ)というのは、 楮(こうぞ)や栲(かじ)などの 繊維で筋模様を織った 昔の織物とのこと。 異国の文様に対し、 「倭文」の字を当てたらしい。 しつおり(しずおり)→しとり と変化したようだ。 |
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こんなに彫りが深く、巧妙な彫刻は なかなか見ない。 |
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境内には国指定史跡の経塚があり、 出土品は国宝になっている。 出土した銅経筒の銘文に、 「康和5年(1103年)伯耆国 河村東郷御座一宮大明神」 と記されている。 平安時代から伯耆一宮だった。 社が見えてきた。 まだ午後4時過ぎというのに、な~んと、 扉を閉めようとしている。 更に進んでいくと、 宮司さんだろうか、 車で帰ろうとされていた。 すれ違い際に目が合い、 「社務所に用がありますか」 と尋ねられた。 「御朱印をいただきたいのですが」 と答えると、社務所に戻られた。 ギリギリセーフだったようだ。 丁寧に記帳いただいた。 それでは参拝といっても 扉が閉まっている。 「どうぞ、勝手に開けてください」 とのこと。 とてもオープンな一宮だった。 |
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それではまず禊をしてから。 美しい手水だ。 |
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苔むした屋根、五段石積、 存在感のある灯籠 |
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狛犬 今朝からよく見かける尾立ちスタイル この地方によくあるのだろうか。 |
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シンプルかつノーブルな構え 扉は閉まっている。 勝手に開けろと言われても 伝統と格式のある一宮の扉を 俗世間のよそ者が勝手に開けて バチが当たらないか。 |
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鍵も何も掛かっていない 手でスムーズに開いた。 中はもう店じまいの様子で、 スッキリ片付いている。 参拝する。 |
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本殿 社を一周してみた。 |
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裏に石塔があった。 何だろう。 |
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立派な本殿 やっぱり彫り物が素晴らしい。 |
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薄暗い社の側面から 社務所に陽があったっていた。 |
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一周してきた。 裏には針葉樹の大木が聳える。 倭文氏は、織物を作る倭文部(しとりべ) を率いた伴造氏族。 機織の神である建葉槌命 (日本書紀、古語拾遺では天羽槌雄神) を祖神として祀る。 倭文神社は全国にある。 |
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主祭神の建葉槌命よりも 下照姫の方が人気がある。 姫は大国主の娘で、 当地で安産指導をされた。 古くから安産の神として有名で、 安産祈願の参詣者が多いらしい。 |
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境内を振り返る。 冥界から現世に戻ってきた感じだ。 簡素で開放的で、 かつ気品のある神社だった。 今日の宿は、念願の玉造温泉。 一度は泊まってみたい温泉だった。 白石屋を予約しておいた。 |
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ロビーに温泉番付が飾ってあった。 え~と、白石屋は、、、 中段の前頭にあった。 まず温泉に浸かる。 大浴場をほぼ貸し切り。 無色透明ないい湯だった。 |
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夕食はとても美味かった。 |
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地酒の飲み比べセット 山陰の酒を楽しむ。 |
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雰囲気のある器が出て来た。 開けると、のどぐろの煮付けだった。 ますます酒が進んだ。 食後、玉造の温泉街を散策。 玉湯川の両岸に旅館が立ち並ぶ 風情ある街並みだった。 物部神社へ |