2022.7.2

中山神社



記録的な早さで梅雨が明けた。


7月初日、山陰の一宮を目指し、

夕方の新幹線に乗り込んだ。


駅のホームから

ライトアップされた福山城


今日の宿は福山のビジネスホテル


ホテルの真ん前の居酒屋へ

閉店間際に飛び入り


福山の地酒をいただく。

うま味の濃い、いい酒だ!


ねぶとのから揚げ


これはビールにピッタリ!

福つまみの一つで、

本名はテンジクダイとのこと


おまけに「くわいの素揚げ」も

付けてくれた。


シャコの酢ヌタ


こちらもおまけに

はもの湯引きを付けてくれた。


幸先良く、いい店に当たった。



翌朝、ホテルの朝食をいただき、

駅レンタカーへ。


予約しておいたレール&レンタカー、

車は黒のワゴンRだった。


山陽道から中国道へ乗り継ぎ、

まずは美作の一宮、

中山神社へ向かう。


津山に入り、

美作国府跡を過ぎると

中山神社に着いた。


中山鳥居、表参道


それにしても暑い。

朝から太陽ギラギラだ。


予定している鳥取砂丘

は大丈夫だろうか。


灼熱砂漠のイメージ

が浮かんできた。


中山神社は式内社で、

「今昔物語」では、猿神伝説が語られ、

「梁塵秘抄」では、安芸の厳島や、

備中の吉備津に並ぶ大社とされた。


狛犬1

尾を立てるパターン


狛犬2

あんまり強そうではない。


神門


もと津山城の四脚門

明治7年、当地へ移築された。


社殿は独特な「中山造」


社務所で御朱印と

由緒書をいただく。

最近では珍しく直筆だった。


1533年、尼子晴久の

美作攻めで社殿は焼失。

1559年、晴久により再建。


参拝


主祭神は鏡作神


鏡作部の祖神、

石凝姥神(イシコリドメ)

の神業を称えた御名とされている。


堂々と貫禄ある本殿


713年、備前守百済王南典と

備前介上毛野堅身の上申により、

備前から6郡を分けて

美作国を分立。


強大な吉備国を解体する最終段階で

吉備氏弱体化の意図

があったとされる。


美作には、久米、弓削、英多など

ヤマト王権に直結する部民が

配置された地名が多く残る。


鏡作部を想起させる

香美(加々美)もその一つだろう。


ミマサカの由来は諸説あるが、

鏡作すなわち香美作と

関連があるのではないか。



中山神社については、

美作分立の際、吉備中山から

勧請されたとの説もある。


作州牛


農耕・牛馬の守護神

でもあった。


鳥居の正面通り、ケヤキの大木


尼子の兵火以前のもの

いほぎのケヤキ


なかなかの大木だ!


祠があった。

大国主が祀ってある。


元はこの地にいて、

中山神に国譲りした

先住神とされている。


これは本当に祝いの木なのか?



宇倍神社へ