(花の窟神社から


7.25(日)

伊雜宮(いざわのみや)



R260に入り、南勢のリアス式海岸を楽しみながらの

ドライブのはずが、なかなか海が見えて来ない。

行けども行けども山道だ。


五ケ所湾岸に入りようやく海が見え出した。


迫間浦に入り、内海を眺める。

あっちこっち釣堀があり、

けっこう賑わっている。



途中、穂原神社の狛犬

なかなかの迫力。



マグロ神の法面を上ると、港が見えた。

宿田曽漁港



ようやく海が開けてきた。

塩鹿浜(しょしがはま)



美しくかつ迫力のあるビーチだ。

サーファーが引き返してきた。

波が高すぎるらしい。


後ろから盛り上がってきて、

うお~

ざぶ~ん


太平洋の荒波。サーファー返しの波。


ようやく志摩の国へ入った。

英虞湾、先志摩半島。

御座白浜が見える。


浜島の港町から、英虞湾。

魚影も塩分も濃ゆそうだ。



志摩は古来、答志郡と英虞郡からなり、

英虞郡は、今の志摩市から尾鷲市まで広がっていた。

戦国時代、その大部分が紀伊と伊勢に編入された。



横山展望台へ上り、英虞湾を眺める。


クローズアップ

典型的なリアス式海岸


波は穏やかで、

周囲から森の栄養が流れ込む、豊穣の海。


志摩は、風光明媚かつ海産物に恵まれ、

古くから朝廷と神宮の御食(みけつ)国だった。


古事記に「島の速贄」とある。

すなわち、志摩の初物。

宮廷でも憧れのグルメだったのだろう。



志摩は海洋部族、磯部氏の根拠地の一つ。

展望台を下り、磯部町の伊雜宮(いざわのみや)へ。


皇大神宮別宮

すなわち、10ある内宮の別け宮の一つ。


飾り気のない素朴な参道


建物が見えてきた。

手前の空地は遷宮用地。

内宮同様、式年遷宮される。


とても質素な建物。

「じんじゃ」と言うより、「やしろ」という感じ。


遷宮によって保存されてきた

古来の建築様式。


と思ったら、実は違って、

昔はいろいろ飾られていたらしい。


明治の遷宮時に他の別宮と同じ

建築様式に改められたとのこと。


廃仏毀釈など、明治の宗教改革は物凄かった。

西洋に負けじと、富国強兵のため、

国家神道を推し進めた。


聖徳太子の教えに背いてしまった。


いっそのこと、西洋の神とも習合した方が

良かったかもしれない。


参拝する。


ところで、志摩の一宮は2つある。

伊雜宮と伊射波神社。


延喜式神名帳には、粟嶋坐伊射波神社とあり、

所在地からして、また伊雜宮は内宮の別宮でもあり、

式内社は、現在の伊射波神社だろうと思うが、

一宮は、はたしてどっちだろうか。


紀伊国は3つもあったし、

その3つより有名な熊野大社は入ってないし、

まあ、どっちでもいいか。



伊射波神社へ