(伊太祁曾神社から) 7.22(木) 日前宮 駐車場が分からず、広大な敷地を ぐるっと回ると、回り始めのすぐ近くに 広い駐車場があった。 知らない土地では、こんなことがあるもんだ。 これも旅の一興だろう。 さて、3つの紀伊一宮の最後は日前宮。 日前(ひのくま)神宮と、國懸(くにかかす)神宮の 2つが隣同士セットになって、日前宮(にちぜんぐう) となっている珍しい神社だ。 別名、名草宮(なぐさのみや)。 |
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由緒書 アマテラスが天岩戸に隠れた際、 石凝姥(イシコリドメ)が、天香具山の銅で、 日像鏡(ヒガタノカガミ)と日矛鏡(ヒボコノカガミ)、 そして八咫鏡を鋳造した。 日像鏡と日矛鏡は、天孫降臨の際、 紀伊国造の祖、天道根命に授けられた。 その日像鏡を祀るのが日前神宮で、 日矛鏡を祀るのが國懸神宮。 朝廷が神階を贈らない特別な神社で、 伊勢神宮の他は当社のみ。 贈る側というわけか。 |
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広大な神域に入る。 しかしこれでも最盛期の1/5の広さらしい。 1585年、秀吉に攻められて、社領を没収された。 社殿が壊され、境内が荒廃した。 大切な鏡は大丈夫だったのだろうか。 |
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看板に行き当たった。 左が日前神宮で、右が國懸神宮 左から参拝する。 |
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日前(ひのくま)神宮に参拝する。 前と書いて、なぜ「くま」と読むのか。 あるいは読ませるのか。 古い文献では、日本語を表記するのに、 漢字の音を借用している場合が多いが、 わざわざ「前」を当てるのはどういう訳か。 beforeの意味もあるのか。 檜前と書いて、「ひのくま」と読む姓名や 地名があるが、関係あるのか。 日前や熊野の「くま」とは、 いったい何のことなのか。 今回の旅のテーマである。 |
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次に、國懸神宮に参拝する。 「くにかかす」とはどういうことか。 全く、謎だらけの神社である。 |
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末社の市戎神社 境内も社殿もシックな雰囲気の中、 ひとり艶やかに盛り上がっている。 摂社に、天道根神社があり、 現宮司でもある紀氏の始祖を祀ってある。 同じく摂社に、中言神社があり、 地主の神、名草姫と名草彦が祀ってある。 先祖崇拝と被征服民鎮魂だろうか。 摂社の祈りの方が、無機質な本殿よりも、 リアルに感じる。 本音と建前だろうか。 暑さもあって、ちょっと疲れてきたが、 紀州に来たからには、 徳川御三家のお城に行かねばなるまい。 和歌山市のシンボルだろう。 またもや、駐車場探しで一周してしまった。 追廻門から入城。 |
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和歌山城 秀吉が秀長に命じて虎伏山に創建。 藤堂高虎が普請奉行を勤めた。 名勝「和歌浦」に対して、 秀吉が「和歌山」と命名。 関ケ原の後、浅野幸長が領主となり、 1619年、家康の十男頼宜が55万5千石で 入国し、御三家紀州藩が成立した。 昭和20年7月9日、和歌山大空襲で焼失。 昭和33年、鉄筋コンクリートで再建。 |
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石垣は紀州青石か。 |
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天守閣からの眺め。 東方、紀ノ川上流方面。 今日は、あっちからやってきた。 |
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西方、紀ノ川河口方面。 工業地帯の奥に、淡路島が見える。 |
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南方、紀三井寺、和歌の浦方面 寺も海もかすかに見える。 和歌山市は、けっこう都市だった。 人口35万人。 県の4%の土地に、4割の人口が集中する。 お城を出て南下。 道路標識に誘われて、和歌の浦へ。 雑賀崎まで行ってしまった。 |
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名勝、和歌の浦 海岸線にホテル、旅館がひしめく。 奥に、片男波海水浴場が見えていた。 【紀三井寺へ】 |