最御崎寺から
2022.5.1


土佐一の宮、土佐神社へ到着

地元では「しなね様」と呼ばれるそうだ。


住所も高知市一宮しなね

一宮で「いっく」と読む。


鳥居


由緒書


祭神は、味鉏高彦根神
(あじすきたかひこね)

またの名を、一言主神
(ひとことぬし)

とされている。


日本書紀には「土左大神」とある。

地方神で大神の称号は

珍しいらしい。


味鉏高彦根神は大和葛城の

鴨氏が祀る神であり、

鴨氏の勢力が土佐に及んだ

のだろうか。


土左大神に鴨氏の神が習合

したのかもしれない。


土佐神社とされたのは、

例によって明治維新のあと、

すなわち神仏分離令以降のことで、

それまでは、中世から近世にかけて

高賀茂大明神だった。


参拝する。


拝殿の奥の様子


扁額


鼓楼

1649年、二代土佐藩主

山内忠義の建立

国の重要文化財


つぶて石

この大石を投げて

神社の位置を決めた。


朱が美しい本殿


西御前社


祭神は不明


扁額


祭神不明とは

一体どういうことだろうか


賀茂氏が来る前の

地元の神だろうか。


長宗我部元親が造営した。

社殿は独特の入蜻蛉形式



神社の隣、土佐一宮の別当寺で、

四国遍路の第30番霊場、

善楽寺に立ち寄り、

般若心経を唱えた。



高知城へ向かう。


現存12天守閣の一つ


関ケ原の功績により、

家康から土佐一国を与えられた

山内一豊が、1603年に築城



更に桂浜へ向かう。


坂本龍馬


銅像と同じ高さの

櫓ができていた。


桂浜



今日の宿は、いの町の民宿


御主人から教えてもらった

居酒屋で夕食とした。


たのや


高知の酒はとても美味い!


日本料理店で修行された

御主人の包丁さばきは

本物だった。



金剛福寺へ