伊曾乃神社から

2022.4.29


高速のトンネルで香川県に入った。

大野原で下りる。


腹が減ってきた。

讃岐に来たからには、

うどんを食べねばなるまい。


横殴りの雨の中、

道路沿いの店に入った。


ひちふく亭

昼時を過ぎていたためか、

客は一人もいなかった。


シンプル&チープ

庶民にはもってこいだ。


聞き慣れない「かやく」を頼んだ。

シンプルで、こしがあって

とても美味しくいただいた。



さあ、本日のメイン観光地、

こんぴらさんに到着



こんぴら参りは江戸時代に大流行

お蔭参りに次ぐ憧れだった。

庶民の旅は禁じられていたが、

社寺への参拝の旅は許された。

一生に一度は金毘羅参り

と言われた。


おんひらひら 蝶もこんぴらまいりかな


そんな舞い上がることもない、

雨のこんぴらまいりとなった。


門前街を過ぎると大門(365段)

が出て来た。


神社というより寺の印象

神仏習合の江戸期まで

金毘羅大権現だった。


金刀比羅宮(ことひらぐう)は

象頭山(ぞうずざん)

の中腹にある。


大門から先は神域で、

名勝及び天然記念物に指定され、

瀬戸内海国立公園に含まれる。


参道の様子


しあわせさん、こんぴらさん

の黄色看板があちこちにある。


黄色がシンボルカラーなのか。


由緒書は雑な印象。

大物主神は廃仏毀釈の

後のことだろう。


祓戸社(595段)

祭神は瀬織津姫ほか三柱

罪穢を祓え清める神


火雷社

祭神は火産霊(ほむすび)の神

ほか五柱


旭社(628段)

明治初期以前、神仏習合時、

象頭山松尾寺金光院のときは、

金堂だった。


森の石松は本堂と間違えて

ここで帰ったらしい。


帰りに参拝する慣わしだ。


賢木門


参道の様子

先にはまだまだ階段がある。


急階段を登りきると本堂に着いた。


雨の本堂(785段)


祭神は大物主となっているが

これは近代の後付けで、

本来の神はもちろん

金毘羅だろう。


土足禁止

参拝


金毘羅とは多説あり、

ガンジス川の鰐を神格化

した水神クンビーラが

由来とも云われる。


クンビーラはガンジスの女神の

乗り物だったことから舟乗りの

守り神になった。


全国の港を見下ろす山上に

金毘羅権現が祀られた。



いや、金毘羅も後付けだろう。

クンビーラは

薬師如来の十二神将の一つ

宮毘羅(クビラ)でもある。

すなわち仏教伝来以降に

渡来した信仰だろう。



その前には弥生の、

さらにその前には縄文の

古来の土俗の神が

祀られていたのかもしれない。


本殿の向かって右に神饌殿

檜皮葺


周辺の様子


社務所で御朱印をいただいた。



令和2年10月、金刀比羅宮は

神社本庁を離脱。


本殿の左奥に

三穂津姫社があった。


明治以降、大物主の奥さんの

社まで造った。


旭社に戻ってきた。

参拝する。


帰りに書院に立ち寄る。

応挙の虎や鶴の襖絵や

邨田丹陵の富士山図は

圧巻だった。


門前街へ下る。


灸まんがあちこちで売られている。


こんぴらさんは晴れた日に

一日かけてゆっくり周りたい、

また来たい観光地だった。


おみやげに清酒金陵も買った。


橋の先のアーケードから入った

コインパーキングに駐車した。


今日の宿泊は丸亀のビジネス

その前に、丸亀城に登る。


1597生駒氏が築城に着手、

1602完成


その後城主は、山崎氏、京極氏と変遷


なかなか立派な石垣


雨がようやく上がった。


石垣の上から讃岐富士

丸亀の街


瀬戸内海方面


遠くに瀬戸大橋が見えていた。


源平合戦の地、屋島


小振りながら

現存12天守の一つ



ビジネスホテルにチェックインし

夕食を求めて市内散策


空いてる店がなかなか見つからず、

駅前のインド料理とした。



神谷神社へ