2021.11.6

香春神社


飯塚市から田川市を通って、香春町へ。


飯塚市は、元の穂波郡や嘉麻郡で筑前、

田川市や香春町は、田河郡で豊前。


筑豊は、炭坑を背景とした近代以降の地域区分。

それぞれの頭文字をとった。


昔の香春岳

一山~二山~三山越え~

炭坑節に歌われた。


良質な石灰岩がいけなかった。

一ノ岳は無残な姿になってしまった。



香春神社は、その一ノ岳の麓にある。


真ん前の駐車場にとめて歩いていくと、

鳥居の横の家には「鶴我」とあった。


ついに来ました香春神社。

古代渡来文化を今に伝える。


正一位に叙されたのは843年。

大神神社や石上神宮など、

奈良、京都の有名社より早く、

古代は大神社だった。


それが近代には県社扱いとなり、

今では寂しい状況となっている。


祭神の第一座は一ノ岳の

辛国息長大姫大目命


この神は一体全体、何者か。


「辛国」は、加羅国もしくは韓国だろう。


豊前風土記によると、

昔、新羅の神が来て、

鹿春の神といったとある。

香春の神は、渡来神らしい。


「息長大姫」は、息長足姫すなわち

神功皇后を思わせる。

香春神と神功皇后が習合したのか。

あるいは、神功皇后は渡来人なのか。


「大目」は、まるで鬼太郎の父、

目玉おやじみたいだが

「一目」のことらしい。

そして、天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)は

鍛冶や製鉄の神。


これらを合わせると、

新羅から来た鍛冶神が、

神功皇后と習合したのか。



祭神の第二座は二ノ岳の

忍骨命

アマテラスの第一子とある。



祭神の第三座は三ノ岳の

豊比売命

住吉明神の母とある。



元々それぞれの山に祀ってあった。

709年、現地へ合祀された。


石碑

宮司 赤染忠臣 書


むかし新羅から渡ってきて

この河原に住んだ鹿春神



豊前のカワラの神と、

筑後のコウラの神は、

同じ神との説もある。



階段を上っていく。


扁額


参道の両脇には、

石柱が立てられている。


金額と人名が彫られている。

趣味が良くない。


前面に回廊を配置したスタイルは、

紀伊の伊太祁曾神社も同様だった。


渡来系神社の特徴なのだろうか。


石祠が三つ並んでいる。


左から天福神社、諏訪神社、蛭子神社。


山王石

昭和14年、山から落ちてきた。


白八稲荷大明神


説明書があった。


もうちょっと詳しい説明が

欲しいところ。


拝殿


あまり管理されていない様子。

とても残念。


立派な扁額


神殿へ回って見ると、

不思議な彫り物があった。

袖に付けられた板は何か。


山王神社


神殿


こっちにも不思議な彫り物


一体何なのか。


これまた妙な七観音。


入口に回廊のあるスタイル

西側回廊は近年補修してある。


入口へ戻ってきた。


謎めいた香春神社をあとにして、

現人神社へ向かう。

現人神社到着


御祭神はツヌガアラシト


ツヌガアラシトは意富加羅国(おおからくに)

の皇子で、「日本書紀」垂仁天皇の条に

2つの伝説がある。


① 額に角が生えたツヌガアラシトは、

ケヒ(今の気比か)の浦に着いた。

これがツヌガ(今の敦賀か)の語源。


② 説明書きにもあるが、

ツヌガアラシトは姫を追って日本へ来た。

姫は難波や国東に行って、

比売語曽神社の神となった。


この神も、香春神社の主祭神と同様、

古代、加羅からやってきた神のようだ。


幅広い階段


扁額

消えかけた現人社


鳥居は明和9年(1772)に建てられたようだ。


現人神社は三ノ岳の北方にある。

香春神社に合祀された三ノ岳の神は

豊比売だった。

この姫も加羅から逃げてきた姫のことだろうか。

姫を追いかけてきたアラシトを

近くに祀っているのだろうか。


宇佐神宮へ