2021.11.6 宇佐神宮 神社で最も多いのは八幡信仰.。 全国に約4万社といわれる。 宇佐神宮は、八幡信仰の総本宮。 ちなみに神社本庁の調査によると、 神社数の多いトップテンは、 ①八幡、②伊勢、③天神、④稲荷、⑤熊野 ⑥諏訪、⑦祇園、⑧白山、⑨日吉、⑩山神 となっている。 さらに、春日、大山祇、鹿島、金毘羅と続く。 |
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独特な反り上がった鳥居 飯塚、田川を回って来たため、 宇佐神宮に着いたのは, すでに夕方だった。 |
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広大な敷地。 |
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由緒書があった。 始めに比売大神が大元山に降臨した。 それから571年、応神天皇の 神霊が八幡大神として現れ、 725年、一之御殿に鎮座した。 733年、比売大神を二之御殿に迎え、 823年、神功皇后が三之御殿に鎮祭。 伊勢の神宮に次ぐ宗廟、 我が朝の太祖とある。 廟とは祖先を祀る施設や墳墓であり、 延喜式神名帳に大帯姫廟とあるからには、 ここでいう祖先とは神功皇后のことか。 |
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神輿発祥の地らしい。 輿は人が担ぐ乗り物。 神輿は祭のときなど、 普段は神社にいる神霊を 乗せて運ぶ輿。 文献上の起源は、 720年「隼人の乱」での、 宇佐八幡神の神輿らしい。 |
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寄藻川に架かる神橋を渡る。 |
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狛犬のお迎え |
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黒男神社 祭神は、武内宿禰。 |
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古代史の謎の一つ、宇佐八幡神託事件。 道鏡が皇位を奪おうとした事件。 道鏡を天皇にすべしとか、 してはならないとかの御神託を、 宇佐八幡大神が授けた。 なぜ宇佐の八幡大神なのか。 そんなことができるのは、 皇祖神、伊勢のアマテラス大神ではないのか。 記紀に登場することのない八幡大神が、 皇室の重大事に対して、 なぜそんなに影響力を持っていたのか。 |
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大尾神社 オオオ神社 和気清麻呂は大尾山で、 八幡大神の神託を授かった。 |
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大尾神社への参道 |
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神仏習合の起源も宇佐らしい。 |
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亀山の参道を上宮へ向かう。 |
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千古斧を入れない社叢 |
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上宮へ到着。 天皇陛下が幣帛や神饌料を 何度も下賜されている。 |
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上宮にも由緒書があった。 勅祭とは天皇の勅使が 派遣される祭祀。 |
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宇佐神宮のシンボル 勅使門 |
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向かって左側の一之御殿 |
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参拝する。 参拝作法は、二礼四拍手一礼。 出雲大社と同じ。 |
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本殿の様子 緑の菊の御紋。 |
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上宮内の向かって左側には、 春日神社と北辰神社があった。 |
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右側には、住吉神社がある。 |
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御許山(おもとやま) |
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最初に比売大神が降臨した山 |
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やっぱり立派な勅使門 その奥が二之御殿。 上宮の小椋山(亀山)は、 前方後円墳とも云われる。 二之御殿の下には石棺があるらしい。 やはり、信仰の中心は比売大神だろう。 |
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若宮神社 祭神は大鷦鷯(おおさざき)命。 応神天皇の子、仁徳天皇と その皇子を祀る。 |
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外宮への細い参道 灯篭に灯りが点った。 |
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下宮の由緒書 祭神は、上宮と同じ。 古くは御炊殿(おいどの)ともいわれた。 伊勢神宮の内宮と外宮の 関係に似ている。 |
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片参りにならないよう、 下宮にもしっかりお参りした。 |
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八幡造りの本殿が覗いていた。 |
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灯篭と鳥居 ぐるりと周ってきた。 |
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祓所(はらえど) |
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春宮(とうぐう)神社 東南西北を春夏秋冬に当てた。 春宮は皇太子の住まい。 応神天皇の皇太子、 莵道稚郎子 (うじのわきのいらつこ) を祀る。 |
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宇佐八幡宮の神宮寺は、 他の八幡社と同じく弥勒寺だった。 「八幡宇佐宮託宣集」(鎌倉後期成立)に、 「辛国の城に始めて八流の幡と天降って、 吾は日本の神と成れり」とある。 辛国とは加羅国あるいは韓国だろう。 そして加羅は6世紀、新羅に吸収される。 八幡神は加羅(新羅)から渡来した神らしい。 当時の新羅には、 花郎(ファラン)という美少年クラブ、 軍事集団があって、その信仰の対象が、 弥勒菩薩だった。 |
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宇佐八幡宮の年表 725年、一之神殿を造営すると 同時に弥勒禅寺を建立した。 【最初から神仏習合】 737年、八幡社が始めて正史 (続日本紀)に記される。 【記紀に記述なし】 741年、藤原広嗣乱の鎮圧に功績 747年、東大寺大仏建立を助成 769年、道鏡皇位簒奪未遂事件 【奈良時代、次々に功績を挙げる。】 859年、石清水に八幡宮を勧請 加羅(新羅)から渡来した八幡神は、 早くから仏教と習合し八幡大菩薩となり、 いつの頃か、応神天皇と習合し皇統とつながり、 京都の裏鬼門、石清水に勧請して国の鎮守となり、 源義家が石清水で元服し、八幡太郎となって以来、 源氏の氏神となり、武家の信仰を集め、 庶民にも広がり、日本最大の信仰となった。 村の鎮守の神様といえば、八幡様のことだった。 |
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源頼義の長男義家は、石清水八幡宮で元服し、 八幡太郎を名乗った。 ちなみに次男義綱は、賀茂神社で元服し、 賀茂次郎を名乗り、 三男義光は、三井寺新羅明神で元服し、 新羅三郎を名乗った。 |
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八幡神とは本来何者なのだろうか。 幡を立てる神、秦氏の氏神、焼畑神、海神など、 古来、多くの説がある。 |
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もう日が暮れてきた。 宇佐神宮をあとにする。 ふらり出て来た神社巡りの旅。 宿も決めていない。 豊後高田でようやく宿を見つけ、 ホテルで教えてもらった居酒屋へ。 |
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活魚ろばた焼き「聖」 地魚や焼鳥を肴に、 地酒を美味しくいただいた。 |
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翌朝、オオオ神社へ参拝した。 |
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和気清麻呂はこの地で神勅を受けた。 |
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とてもシンプルな神社。 |
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呉橋にも寄っていった。 |
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中国の呉とあるが、 朝鮮の高句麗かもしれない。 近くの大分県立歴史博物館に 寄って帰ることにした。 |
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大宝2年の戸籍によると、 秦部(はたべ)や 勝姓(すぐりのかばね)など 豊前国は渡来人が占めていた。 |
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藤原広嗣の乱の鎮圧や 東大寺大仏の建立の援助を通して、 一地方の神であった八幡神は、 国家の守護神となっていった。 |
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八幡宮は日本全国に広がった。 |
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毎年2月13日に行われる鎮疫祭 元々弥勒寺の八坂神社の祭典。 和風ではない感じ。 |
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宇佐本宮本殿のミニチュア 八幡造り |
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昔の宇佐神宮の再現 巨大な弥勒寺 小椋山はやっぱり古墳ではないか。 修学旅行だろうか、学生が大勢入ってきた。 ありゃ~、 これではゆっくり見学もできない。 さっさと退館した。 |
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帰りに青の洞門や羅漢寺に寄り、 深耶馬渓のもみじを眺めながら、 家路についた。 【戻る】 |