2021.11.6 大分八幡宮 先月、筑前一宮の筥崎宮に参拝したとき、 由緒書に、大分宮から遷座したとあった。 大分は、「だいぶ」とのことで、 あんまり聞かないお宮だが、 筥崎宮の元宮と知ったからには、 行かねばなるまい。 宇佐神宮への往き道、 大分遠回りになるが、寄ってみることにした。 飯塚市を訪ねるのは初めてで、 景色も、地名も新鮮だ。 |
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ナビの案内も、遠回りだった。 ちょっと迷って到着。 人気がない。誰も見当たらない。 こっちが元宮なのに、筥崎宮とは大違いだ。 とはいえ、古来大切にされてきた雰囲気がある。 「大分」の漢字をみれば、 迷わず「おおいた」と読んでしまう。 「だいぶ」とはなかなか慣れない。 しかし、考えてみると「だいぶ」の方が普通で、 「おおいた」の方がよっぽど変わっている。 |
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聖武天皇の神亀3年(726年)、 八幡大神の神託によって、 大きく美しい社殿が建てられたと云われる。 「宇佐宮御託宣集」に、筥崎神託として、 「我が宇左宮よりは、穂波大分宮は我の本宮也」 とあるそうだ。 「我が宇左宮よりは」がよく分らないが、 大分宮は筥崎神の本宮であるらしい。 また、横の地図を見ると、大分のついた 駅、郵便局、駐在所、JAがある。 廃寺跡まであり、古くからの地名なのだろう。 |
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なんとも個性的な狛犬だ。 スタンディングスタイル、 見返りこまいぬ。 |
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なんとこっちは、逆立ち! とてもユニークな作者に違いない。 |
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猿田彦大神、宝暦4年。 |
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広い境内 |
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境内には大木が多い。 |
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由緒書 御祭神は八幡宮の名のとおり、 例によって八幡一族で、筥崎宮と同じ組み合せ。 こっちが元宮なので当然か。 大分の地名の由来は、 神功皇后がこの地で軍を解隊した ことから、来ているらしい。 イマイチピンと来ないが、 大きく分かれたということか。 応仁天正の動乱で神殿は焼失したものの、 1577年、秋月種実が再建。 裏山は、皇室古墳推定地で、 「仲哀天皇御陵」とのこと。 |
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三つ目の鳥居 掃除されている方がおられた。 |
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九州北部の神社には、 このような漫画チックな 馬の像をよく見かける。 |
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御神木の大樟 福岡県天然記念物 神功皇后が三韓征伐から持って帰った、 伝説の三本の樟の一本。 あと二つは香椎宮と宇美八幡宮にあるらしい。 |
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拝殿 |
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扁額 地震かなんかで落ちた? 右上が欠けている。 |
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拝殿奥に幣殿 本邦五所別宮第一 八幡宮の総本社、宇佐神宮の五所別宮の第一。 ちなみに五所は、大分、千栗、藤崎、新田、鹿児島。 |
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御幣をクローズアップ やはり、稲妻のデザインだろうか。 |
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大神宮 丘の中腹のアマテラスを祀る。 |
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神殿の裏山は、仲哀天皇御陵推定地 |
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演舞殿での舞や劇、 獅子舞、流鏑馬、相撲、神楽など、 仲秋の大祭はとても賑わった。 |
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大分宮を後にする。 筥崎宮の本宮だけあって、 歴史ある個性的な神社だった。 飯塚市から田川市を過ぎて 香春町へ向かう。 【香春神社へ】 |