地名の由来



その地にその名が付けられたのはなぜか。

必ず何か意味があった。


地名は移転する。

戦争、天災などのため、集団で移転したのち、

新たな土地に、人々は故郷の名を付けてきた。


アメリカにはイギリスの地名が多く、

北海道には、日本各地の地名がある。


その地名の起源はどこなのか。

必ず最初の地があった。



古き地名の由来は、

日本の成り立ちを考える材料の一つである。


10世紀、源順が編纂した和名抄をベースに、

地名の由来を考えることにした。



※出典の短縮表記

木(木簡)、記:古事記、紀:日本書紀、風:風土記、万:万葉集

諸 説

ヤマシロ

山城
山背
山代
ヤマト

大和
大倭

カワチ

河内
イズミ

和泉
セッツ

摂津



イガ

伊賀
イセ

伊勢
シマ

志摩
オワリ

尾張
ミカワ

参河
トウトウミ

遠江
遠淡海(とほつあわうみ)
すなわち、都から遠くにある淡海(浜名湖)の国

スルガ

駿河
イズ

伊豆
カイ

甲斐
サガミ

相模
ムサシ

武蔵
无邪志
牟射志

かつて武蔵(東京都、埼玉県、神奈川県)には、
朝鮮からの渡来人の移住が盛んに行われ、
高麗郡、新座(新羅)郡、狛江郷などの地名となった。

武蔵の語源は、

①朝鮮語で宗城もしくは主城とする説
 ム(宗、主)+サシ(城)とする。
 宗城は、胸刺国造とつながる。

②朝鮮語の大領地(まるちゃち)が訛った説

③苧(からむし、繊維の原料)の種を意味する
 朝鮮語「モシシ」が語源とする説

などがあり、いずれも朝鮮語から出たとされる。

アワ

安房
807年成立の斎部広成「古語拾遺」によると、

「東国に行った阿波の忌部(斎部)の居るところを、
安房郡と名付けた」とある。

フサ




 上総

 下総
同じく「古語拾遺」によると、

「阿波の斎部を分け、東国へ移住して麻、穀をうえた。
良い麻が育つ所だった。よって総国という。」
とある。

古語では麻のことを総と言った。
ヒタチ

常陸



オウミ

近江
近淡海(ちかつあわうみ)
すなわち、都から近くにある淡海(琵琶湖)の国
ミノ

美濃
ヒダ

飛騨
シナノ

信濃
ケヌ

毛野


 上野

 下野
ムツ

陸奥
デワ

出羽



ワカサ

若狭
エツ




 越前

 越中

 越後
カガ

加賀
ノト

能登




タンバ

丹波
タンゴ

丹後
タジマ

但馬
イナバ

因幡
イナバは稲葉を始め、稲場、稲羽など全国に散らばっている。
印旛もその類だろうか。

稲の採れるところだろうか。
ホウキ

伯耆
イズモ

出雲
イワミ

石見
オキ

隠岐



ハリマ

播磨

キビ

吉備


 備前

 備中

 備後

 美作
アキ

安芸
スオウ

周防
ナガト

長門



キイ

紀伊
木の国
二字に変更して紀伊となった。
アワジ

淡路
阿波の国へ渡る路
アワ

阿波
サヌキ

讃岐
イヨ

伊予
トサ

土佐
西

ツクシ
(チクシ)

竹斯(隋書)
筑紫(記、紀、風)
都久志(万)など


 筑前

 筑後
筑前と筑後の境の山に荒ぶる神がいて、峠を行く人々を殺した。
「イノチツクス」神と呼ばれ、その神を祀ったのが筑紫神社
筑紫の語源は、筑紫神社の神号から起こった。(風)


九州西海岸にはクシの付く小地名が多く、
それは海に長く突き出た地形の場合が多い。

しかし中には、串木野、串良、串間など、
市町村名となっているような大地名もあり、
それは、吹上浜や志布志湾といった
大きな砂浜の周辺にある。

対馬が、津島や対島と云われるように、
ツクシは、津串や対串、
あるいは津櫛や対櫛のことではないだろうか。



ツクシには美しい砂浜が広がっている。


砂浜は船着き場だった。

いにしえの海人は、星空を羅針盤としながら、
暗闇の海上から、月光に浮かび上がる白き砂浜を
目指したのかもしれない。


トヨ




 豊前

 豊後
「日本霊異記」
大部屋栖野古(おおとものやすのこ)の造仏の段

「(仏像を)豊国に棄て流せ」とあり、
ここでいう豊国は文脈から、韓国と考えられる。

このことから、豊は韓のこととも云われる。


「正倉院文書」の豊前国戸籍では。人口の93%が
渡来系の秦族で占められていた。


魏志倭人伝の台与(トヨ)と関係付ける説、
隋書の秦王国と関係付ける説、いろいろある。


いずれにせよ、半島と濃厚な関係にある国だった。







 肥前

 肥後
ヒュウガ

日向
オオスミ

大隅
サツマ

薩摩
イキ

壱岐
ツシマ

対馬
【戻る】