2021.3.6 江田神社 地図を眺めていると、 円弧状に海を受け止めている 大隅半島の志布志湾に 行ってみたくなった。 高千穂を抜け、 延岡から九州東海岸を南下。 途中、西都原に立ち寄る。 圧倒的な古墳群や出土品 の数々に驚くばかり。 古代日向、恐るべし。 しかし、青銅器はない。 弥生時代の南九州は、 北九州(銅剣銅矛)、近畿・東海(銅鐸) とは異なる文化圏だった。 すごい物があった。 |
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玉壁 江戸時代に串間で出土したらしい。 大陸の王が持つ代物。 BC2世紀の南越王墓から、 似た模様の玉壁が 出土しているとのこと。 中国のどこかの国が滅亡し、 王族が流浪のすえ、志布志湾に 漂着したのだろうか。 例えば、楚。 始皇帝に滅ぼされたのはBC223。 流亡の地、南九州で熊襲の「ソ」となり、 中央政権にまつろわぬ勢力となった。 ちょっと妄想が過ぎたか。 |
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模様 何を表現したのか。 西都原を出て、江田神社へ向かう。 日向に4つある式内社の1つ。 |
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鳥居 |
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由緒記 祭神は、イザナキ。 所在地は、宮崎市阿波岐原町産母。 あわきはらは、 イザナキが黄泉の国から戻り、 禊をしたところ。 古事記では、 竺紫日向之橘小門之阿波岐原。 日本書紀では、 筑紫日向小戸橘之檍原。 禊は、もともと海人族の宗教儀式で、 イザナキは、その神かもしれない。 |
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社はいたって普通。 平安時代、神階が正一位に進み、 壮麗な社殿を誇り、 日向を代表する神社だった。 しかし江戸時代、大津波で 壊滅、衰退した。 |
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ここには、古代江田駅があった。 |
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みそぎが池まで散策した。 池でケガレは流れる? |
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散策道に、山茶花が咲いていた。 江田神社を後にして、志布志湾へ向かう。 |
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串間を過ぎて、ついに志布志湾に来た。 曇り空だったが、 広大な湾を眺めることができた。 |
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夕食はビジネスホテル近くの「すずもり」 カウンターで御主人と話しながら、 志布志の地魚、石ガニ、 隣客持ち込みのフキノトウを 美味しくいただいた。 【宮浦宮へ】 |