(石上神宮から) 7.26(月) 大神(おおみわ)神社 まだまだ時間はある。 早めに港へ着いた方が安心だが、 なかなか来るところではない。 せっかくなのでもう一つ、 最後に大和一宮、大神神社へ 行くことにした。 石上から三輪へ行く途中、 有名な箸墓古墳があった。 単なる小山のように、 普通にそこにあった。 |
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大神神社に着いた。 |
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三輪明神の扁額 なぜか素麵が浮かぶ。 そうだ、昼飯を忘れていた。 |
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御祭神は、大物主神。 大国主神の和魂(にぎみたま)とされる。 三輪山が神体山であり、本殿はない。 我が国最古の神社。 全国各地に祀られる 大物主の総本社である。 |
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拝殿 この旅で何回参拝したことだろう。 これが最後。 願いも祈りも何もなし。 ひたすら無心に参拝する。 |
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重厚かつ高貴な拝殿 1664年、徳川家綱が再建。 例年11月の酒まつりで、 拝殿に杉玉が吊るされる。 それが全国へ伝わった。 酒造りの神でもある。 |
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大物主大神の本名は、 倭大物主櫛甕玉命 やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと やけに長い。 日本書紀によると、 大物主は崇神帝の夢に出て、 吾を子の大田田根子 (記:意富多々泥古) に祀らせるように告げた。 オオタタネコ(茅渟県陶邑出身)は 神君(三輪氏、大神氏)、鴨君(賀茂氏) の祖神とされる。 ひょっとしたら、崇神帝は征服民で、 大物主は被征服民ではなかろうか。 民の手前、先住の王を 三輪山に丁重に葬った。 そして祟らぬよう、その子孫に 祀らせたのではないか。 |
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正面から 大神神社は全国各地に 分祀(三輪神社、美和神社)された。 山陽道に沿って、 播磨、美作、備前、備中、周防に多い。 |
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拝殿を振り返る。 大物主よ、さらば。 |
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駐車場から三輪山 山には上から、 奥津磐座(おきついわくら) 中津磐座(なかついわくら) 辺津磐座(へついわくら)が あるらしい。 山と海の違いはあるが、 宗像三女神みたいだ。 |
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大鳥居 大きければいいもんじゃないと思うが、 目立つのは間違いない。 南阪奈道を飛ばし、泉大津へ。 ついに、紀伊半島を一周した。 旅の連れの、可愛いライフ。 トラブルなく頑張ってくれた。 ありがとう! 阪九フェリーに早めに乗船。 出航前に、露天風呂に浸かり 旅の疲れを癒し、ビールで乾杯! |
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九州に向け、出航。 神戸の街が見えてきた。 |
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帰りも素晴らしい夕焼けに恵まれた。 |
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明石海峡大橋を潜っていく。 向こうは、淡路島。 |
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瀬戸内航路、穏やかなり。 |
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そして今日も日が暮れる。 昔から気になっていた紀伊半島。 一宮めぐりの目標も重なり、 思い切って出発して、大正解。 充実した大満足の旅となった。 【戻る】 |