(伊射波神社から) 7.26(月) 内宮(ないくう) 紀伊半島の旅も、ついに残すところあと1日。 日頃の行いのためか、 あちこちお参りしたお蔭か、 5日間通して晴天に恵まれ、 知らない土地を気ままに訪ね、 非日常の刺激的な旅となった。 旅へのきっかけとして始めた一宮めぐり。 今回も紀伊半島への出発の後押しになった。 目標は行動につながる。 いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、 漂泊の思いやまず。 そぞろ神の物につきて心を狂わせ、 道祖神の招きにあいて取るもの手につかず。 夢は枯野をかけめぐる。 さあ、最終日、日本の信仰の中心とされる伊勢神宮。 正式には、神宮である。 早朝、まずは内宮へ向かう。 広大な駐車場に到着。 本日の駐車第1号のようだ |
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おはらい町 朝早いためか、人通りがない。 |
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入口の鳥居に着いた。 見張所には早くも衛士が勤務中。 お疲れ様です。 |
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由緒書 簡潔かつ深遠 最も深遠なのは、周知の御祭神。 実在したのか、それとも架空なのか。 古事記では、高天原におられ、孫に命じて、 豊葦原水穂国を治めに行かせた。 いわゆる天孫降臨。 高天原はどこか。 雲の上の天界ならば、 架空の話だろう。 国内外のどこかならば、歴史上の事実が ベースになっているのかもしれない。 いろんな説がある。 国の成り立ちについて、 いろいろ言えることは、 自由な国の証しかもしれない。 |
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宇治橋を渡る。 右側通行。 今日もいい天気だ。 |
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清々しい五十鈴川、木除け杭 |
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神苑の松は、どれも姿がよく、 きれいに剪定されている。 |
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広大な神苑を貸し切り。 |
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御手洗(みたらし)についた。 川で心身を清める。 これが本式の禊か! 普通の神社の手水とは比較にならない。 |
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五十鈴川 きれいな流れだ。 ISUZUの社名もここから。 |
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下流方面 ところで、五十と書いて、なぜ「い」なのか。 あるいは、「い」になぜ五十をあてるのか。 先の伊太祁曾神社の祭神も、 五十猛でイタケルだった。 |
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第二鳥居 左奥の授与所で御朱印をいただく。 最近、紙配りの神社が多いが、 さすが神宮、その場で直筆いただいた。 |
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正宮(しょうぐう)に近づいてきた。 |
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神宮の内宮の正宮 八咫鏡はあるのか。 |
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鳥居から先は撮影禁止。 入って左の建物に、 平安時代にスリップしたような神官が、 筆を取って何か書き付けていた。 右には、衛士が目を光らせていた。 |
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横にあった入口も立ち入り禁止 正殿は、ぜ~んぜん見えない。 もったいぶらずに、 八咫鏡も一緒に オープンにしたらどうか。 |
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道沿いにあった御稲御倉(みしねのみくら) 正殿もこんな感じだろうか。 |
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荒祭宮 内宮の10ある別宮の第一。 アマテラスの荒魂を祀る。 |
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どれも似たような造り、 千木、鰹木、藁ぶき屋根の高床式。 |
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こちらも、しっかり参拝した。 だんだん柏手が、 病みつきになってきた。 |
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別宮も、式年遷宮の対象だ。 遷宮は、天武天皇の宿願にもとづき 持統天皇4年(690年)に始まった。 |
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神楽殿 まだ受付時間前だったが、 何か祈祷があるようだ。 |
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広大な敷地をブラブラする。 それにしても、どの松も立派なこと。 |
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宇治橋に戻ってきた。 右側通行で橋を渡る。 |
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帰りのおはらい町 まだ人気なし。 しかし、赤福だけは既に開いていた。 【外宮へ】 |