2021.7.21(水) 念願の紀伊半島へ出発。 大阪中心部を避け、 門司から泉大津へ上陸する航路を選んだ。 新幹線などを乗り継ぎ、新門司港へ。 港には、どでかいフェリーが停泊していた。 |
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おお、でかい! 阪九フェリー「いずみ」 有明フェリーとは大違いだ。 手続きを済ませ、乗船する。 |
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船内の様子、売店。 |
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風呂もある。 シャワー室に、露天風呂まである。 |
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デラックス・シングルを予約した。 船が大きいためか、瀬戸内航路のためか、 揺れることもなく、快適な船旅だった。 |
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甲板に出る。 隣には、徳島行きが停泊していた。 午後5時半に出港。 |
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午後7時過ぎ日没。 ついに今日も日が暮れる。 |
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国東の山々、手前に姫島 修学旅行以来の瀬戸内航路。 日が暮れ、船室へ戻りながら振り返ると、 西空が再び赤く染まり出していた。 |
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終わったと思った夕陽が、また始まりだした。 落日を浴び出したのか、西の雲が輝きだした。 これからが本番だった。 日没の夕陽は前座だった。 |
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くわ~~物凄いことになってきた。 これが瀬戸の夕焼けか!!! 空も海も紅く染まり、 この世と思えぬ空気に包まれた。 |
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隣で眺めていた初老の紳士に、 「すごいですね~」と話しかけた。 「本当は船乗りになりたかったんですよ」 と虚空を見つめながらつぶやかれた。 涙が流れていた。 |
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初日から凄い景色に出会った。 明日からの旅路に心が踊る。 7.22(木) 翌日、午前6時に泉大津の港に到着。 レンタカーの店は9時開店。 南海の泉大津駅で送迎バスを降りて、 ブラブラ、歩くことにした。 駅の案内板で公園を見つけた。 |
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朝からうだるような暑さの中、 ようやくついた穴師公園。 木陰のベンチで、 コンビニのパンとコーヒーの朝食とした。 やかましい蝉の鳴き声にも だんだん慣れてきた。 |
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公園の隣に神社があった。 泉穴師神社 |
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由緒書、消えて良くわからない。 |
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向かって左側に、 いろいろ有名な神が祀ってあった。 |
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鳥居が二つ並ぶ拝殿 社務所で由緒をいただくと、 な~んと式内社で、和泉二宮とのこと。 祭神は、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)と 栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)の御夫妻 となっている。 住所は、泉大津市の豊中町1丁目1番1号。 豊から移住した人々の開拓の始まりの地か? |
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1602年(慶長七年)豊臣秀頼が片桐且元に 命じて修築した本殿は、良く見えなかった。 1331年(元弘元年)楠木正成が奉献した 石燈籠は、三宝に重なるも少し見えた。 本殿の左右に摂社があり、 向かって左は住吉社、右は春日社。 |
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春日社 祭神は天富貴命と古佐麻槌命 新撰姓氏録には、 「和泉国神別 穴師神主 天富貴命五世孫 古佐麻豆智命之後也」 との氏族があり、 明治12年の神社明細帳では、 穴師神社祭神は、天富貴命と佐古麻槌命に なっているとのこと。 こっちの神が元来主祭神で、 穴師一族の祖神なのか。 今はなぜ摂社春日社に祀られているのか。 また、冬に北西から吹く季節風のことを、 西日本で「アナシ」と言い、 穴師神は風神とする説がある。 江戸時代享保年間に成立した、 五畿内志和泉志に、祭神は風の神である 級長津彦、級長津姫となっているとのこと。 また、鉄穴流し(鉄穴師)や採鉱(穴師)など、 たたら製鉄に従事する一族とする説もあり、 さらには、安那、安羅からの渡来族とする説、 いろいろな説があり、謎の多い神だ。 まだまだ時間があり、公園に戻って木陰で一休み。 炎天下にも関わらず、野球少年が汗を流していた。 【丹生都比売神社へ】 |