2016.8.18 小国の焼とり進平で飲んでいると、隣の客人と話がはずみ、 満願寺の由来を教えてもらった。 北条氏が元寇の戦勝祈願に建立したとのこと。 へ〜そうなんだ。 元寇の戦勝祈願としては、箱崎宮の敵国降伏の扁額が有名だが、 博多湾から遠く離れた山中に、 温泉しか思い浮かばなかった満願寺に、 そんな経緯があったとは思いもよらなかった。 翌日、鍋ヶ滝の後、満願寺へ向かった。 |
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立派な楼門が迎えてくれた。 |
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満願寺のいわれがあった。 執権北条時頼の弟、北条時定が地頭として阿蘇小国へ下向。 元寇祈願のため、京都山科醍醐の霊場を移し、 五坊を建て満願寺と総称したとある。 北条時定は鎮西奉行として、姪浜で元寇を防いだ。 隣人の言われるとおりだった。 |
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本堂があった。 真言宗とあるからには、御本尊は大日如来だろうか。 元寇を退けるほど、霊験あらたかなようだ。 しっかりと御参りした。 |
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