2016.4.5  


4月4日、一心行の大桜が満開となった。

満開から3日間、大桜はライトアップされる。

仕事を終え、一の宮から高森回りで南阿蘇村へ出かけた。


いわれの看板があった。



天正八年と言えば、中央では本能寺の変の2年前、織田信長の全盛期。


九州では、天正六年の耳川の戦いにより、パワーバランスが崩れ、

薩摩、大隅、日向の三国を統一した島津氏の勢力が強大になった頃。


菊池氏が大友氏によって滅ぼされ、大きな戦国大名がいなかった肥後では、

多くの国衆が島津氏に靡いていった。

そんな中、大友氏に同調していた阿蘇氏は島津氏に徹底抗戦、

その緒戦が矢崎城の戦いだった。


矢崎城は、宇土半島郡浦にあった。

阿蘇四社(阿蘇神社、甲佐神社、郡浦神社、健軍神社)の地は、

もともと阿蘇氏の影響が強かったのだろう。

当時、阿蘇氏家臣の中村惟冬が、惟の字からしてまさに阿蘇一族だが、

城代を勤めていた。

この戦いで惟冬は城から打って出て、城兵共々討ち死にした。


その惟冬の菩提樹が、この一心行の大桜というわけだ。




ライトアップが始まり、闇に大桜が浮かび上がった。




接近して、真下から写す。




菩提樹が美しくライトアップされ、多くの見物客で賑わっている。

中村惟冬の魂も、きっと鎮められたに違いない。


美しい大桜のライトアップを堪能し、長陽回りで家路に就いた。

こっちの方が大分早いようだ。

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