鳴瀬川 (なるせがわ)


 船形山を源ととし、大崎平野の南部を流れ、東松島市から石巻湾に注ぐ。


 東西に平行して流れる北上水系江合川と共に氾濫を繰り返し、肥沃な大野平野を形成した。

 大崎平野は地形と水利に恵まれ、古くから稲作が盛んで一大穀倉地帯となっており、

 大正時代には古川農業試験場が置かれ、「ササニシキ」「ひとめぼれ」などのブランド米を次々と生みだした。


 支流の吉田川流域には、かつて広大な品井沼があった。

 吉田川は品井沼へ流入し、そこから小川が鳴瀬川に注いでいた。

 大雨により鳴瀬川が増水すると、逆流して品井沼が氾濫し、洪水被害が繰り返されたことから、

 江戸時代に品井沼の干拓工事が始められた。

 難工事を経て昭和25年に完了し、鳴瀬川が吉田川に流れ込まないように、

 両川を数キロに亘って平行して流れさせ、河口の直前に合流するように付け替えている。

 
 ところで、水死体のことを土左衛門という。

 江戸時代、鳴瀬川流域出身の成瀬川土左衛門という力士がいて、色白の典型的なあんこ型で相当太っていた。

 体の膨れ上がった水死体のことを、土左衛門のようだと喩えて言ったのが定着したと云われる。

 四股名は繰り返し襲名されるものが多いが、「土左衛門」は成瀬川の後、一度も襲名されることがなかった。

 そりゃそうだろう。