大淀川 (おおよどがわ)
筑後川に次いで九州第2位の流域面積を誇る大河。
鹿児島県曽於市の中岳を水源として、都城盆地を潤し、
小林市を流れる岩瀬川、熊本県槻木から流れてきた本庄川など数多の支流を合わせ、
宮崎市から日向灘へ注ぐ。
江戸時代、日向を割拠した延岡藩、高鍋藩および飫肥藩の戦略的都合により、
大淀川下流には橋がなかった。
維新後もしばらくは橋を架けるのは許されず、人々は不便な生活に甘んじていた。
そんな状況を見かねた医師の福島邦成は、架橋の申請を繰り返し、
建設費用を私費で賄うという条件付きで許可され、ようやく架けられたのが橘橋であり、
その後、洪水や時代の流れにより幾度も架け替えられ、今の橋で6代目となっている。
大淀川に架かる橘橋の風景は、周辺に建ち並ぶホテルやフェニックスと相まって、
南国宮崎のシンボルの一つとなっている。
支流の一つ槻木川は宮崎県に入ると綾北川となり、その南西には綾南川が流れる。
綾町の中心部は両川に挟まれた痩せた扇状地に位置し、災害常襲地帯であり、
1960年代当時は「夜逃げの町」などと言われる過疎の町だった。
しかしながら、住民全員参加の議論に次ぐ議論により、「有機農業の町」「照葉樹林都市」
等としてまちおこしに成功し、
自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が後を絶たない。