川内川 (せんだいがわ)


 海苔の宣伝じゃないが、

 上から呼んでもカワウチカワ、下から呼んでもカワウチカワと言いたくなるが、

 なぜかセンダイだ。


 センダイといえば、やっぱり仙台がメジャーだろう。

 こちらの川内はちょっとマイナーかもしれない。

 そういえば山陰にも千代川がある。

 もともとは仙台も川内も千代で、その方が縁起が良いように思うが、

 伊達正宗や島津氏が字を充て変えたらしい。

 千代といえば、古今和歌集に読人知らずの有名な歌がある。

 わが君は千代に八千代に 細れ石の巌と成りて 苔のむすまで

 ここでいう君とは、いとしの人とかいう意味らしい。



 河口近くに北薩摩の中心都市、薩摩川内市がある。人口10万弱。 

 南九州にして古くから中央政権下にあった地域で、薩摩の国府や国分寺が置かれた。

 さらに市内の小高い神亀山には薩摩の一の宮、新田神社がある。

 その神亀山自体が古墳であり、可愛山陵とされている。

 すなわち高千穂の峯に降臨した、天孫ニニギの墓というわけだ。
 
 
 流域の伊佐市には東洋のナイヤガラと称される曾木の滝がある。

 この滝の落差に目を付け、曾木電気(株)を設立し、発電所を建設したのがチッソの創業者、野口遵(したがう)だ。

 その後、水俣、延岡、朝鮮などで化学工業を展開、昭和期の新興コンツェルンの1つ日窒コンツェルンを一代で築き上げた。

 しかし、敗戦により主要拠点だった朝鮮の資産などを失い、さらに15大財閥の1つとしてGHQにより解体され、

 日本窒素肥料から、旭化成、積水化学工業などが独立した。

 戦後、水俣工場でアセトアルデヒドの生産を再開するが、

 その工程で副生されたメチル水銀化合物を垂れ流し、水俣病を引き起こした。


 野口遵は、同じ新興コンツェルンでGHQにより解体された森コンツェルンの森矗昶(のぶてる)を、

 終生ライバルとして意識していたが、

 野口遵の日本窒素肥料は水俣病を、森矗昶の昭和電工は第二水俣病を引き起こした。

 

 川内川は、球磨の白髪岳を源頭とし、加久藤盆地、大口盆地を潤し、薩摩川内市から東シナ海に注ぐ。

 曲がりくねっているためか意外に長く、九州で2番目の長さを誇る。