白川 (しらかわ)


 世界有数の大きさを誇る阿蘇カルデラに降った雨は、

 外輪山唯一の切れ目である立野から白川となって流れ出す。

 
 伝説によると、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、祖父の神武天皇から九州を治める命を受け、阿蘇にやってきた。

 カルデラの中に満々と水の溜まっている湖を眺め、水を流して田畑にすることを思いつき、外輪山を思いっきり蹴った。

 しかしちょうど山が二重になっているところで、なかなか蹴破れなかった。そこは「二重峠」と呼ばれるようになる。

 更に場所を変えてやってみると、今度は見事に外輪山を蹴破り、湖水は一気に西へ流れ出した。

 そのはずみで命は尻餅をつき「立てぬ」と叫んだことから、その場所は「立野」になったそうだ。


 阿蘇カルデラは大きく北と南の二つに分かれる。

 肥後一宮の阿蘇神社や、内牧温泉のある北側が阿蘇谷で、

 名水百選の白川水源や、垂玉温泉のある南側が南郷谷である。

 南郷谷を流れるのが白川本流で、阿蘇谷を潤す支流の黒川を立野で合わせ、

 熊本平野へ流れ出し、熊本市街を貫流して有明海へ注ぐ。


 阿蘇がひとたび豪雨となれば、白川の水嵩が一気に増して、熊本市街は洪水の危機に晒される。

 昭和28年白川大水害が発生。熊本市街の70%が浸水し、死者、行方不明者は四百名を越えた。

 その後も集中豪雨によって、白川は20〜30年おきに氾濫を繰り返している。


 白川の治水、利水に大きな功績を残しているのが加藤清正である。

 清正といえば、賤ヶ岳七本槍、唐入りでの虎退治など猛将として、

 また、熊本城、名古屋城など築城の名手として知られているが、

 白川のみならず肥後各地で河川改修、干拓、灌漑の業績を残しており、土木の神様とも云われている。


 清正が手掛けた事業の中でも、特に独創的なのが鼻繰り井手だ。

 白川から取水する用水路を造る際、一部岩盤を深く掘らねばならない難所があった。

 水路を深くすれば、底に溜まる阿蘇の火山灰等の土砂を浚渫するのに大変な労力が必要となってしまう。

 そこで工夫を凝らして、岩盤を掘削するときに仕切り壁を80ヶ所残し、

 その壁の下を左右交互にくり抜くことで、水が渦を巻きながら流れるようしたのだ。

 この渦によって火山灰は舞い上がり、底に溜まることなく、オートマチックに流されるようになった。

 なんとも素晴らしいアイデアではないか。やっぱり神様だけのことはある。

 いまでも熊本県民は、清正のことを清正公(せいしょこさん)と親しみと尊敬の念を込めて呼んでいる。

 ちなみに鼻繰りというのは、壁の穴が牛の鼻輪に形状が似ていることに由来する。


 阿蘇に降った雨は、白川として地表を流れるより以上に地下水となって熊本に潤いをもたらしている。

 熊本市は人口50万人以上の都市としては、日本で唯一、水道の水源が地下水100%である。

 世界でも稀な地下水都市であり、肥後は火の国というよりむしろ水の国であった。