太田川 (おおたがわ)
もともとその周辺に大きな田んぼが広がっていたことから付けられた川の名前だろうが、
その文字を見れば、日本人ならば誰しも悲しい記憶がよみがえる。
ヒロシマ。世界で初めて原爆が投下された街。
当時35万人いたと言われる市民のうち14万人が亡くなった。
その熱線によって全身に火傷を負った人々が、熱い熱いと言いながら太田川へ飛び込み、
川には無数の死体が浮かんだ。まさにこの世の地獄だ。
戦争がもたらす、このような惨劇を繰り返さないよう、事実を後世に伝えなければならない。
悲しいからといって記憶を消し去ってはならない。
歴史は単なる過去ではなく、未来への大切な道しるべであるはずだ。
中国山地には花崗岩が多く、風化すると真砂(マサ)と呼ばれる砂粒になる。
マサの地盤は非常に脆く、大雨が降ると土砂崩れが起こりやすい。
中国地方の中でも広島県にはマサが広く分布し、土砂災害危険区域が全国で最も多く3万ヶ所を超えている。
2014年広島土砂災害の直接の原因は豪雨だが、もともと災害の起こりやすい土壌があったのだろう。
そのマサを始めとした土砂が、太田川によって河口へ運ばれ、長い年月をかけて堆積し、
日本有数の三角州、広島デルタが形成された。遠い昔は可部辺りまで海だったようだ。
戦国末期、毛利輝元は大阪城や聚楽第といった平城に影響され、太田川河口デルタ地帯の島に広島城を築城する。
その後城主は福島氏、浅野氏と移り変わるものの、干拓などデルタ開発が進められ、
広島は江戸期を通して城下町として発展し、人が増え続け、
幕末には日本三都(江戸、京、大阪)及び金沢、名古屋に次ぐ人口規模だった。
現在では110万人を超え、中国地方の中心都市となっている。
中国山地の冠山を源流とし、特別名勝三段峡の柴木川(しわきがわ)など数多の支流を合わせ、
広島デルタで六つに分流し、広島湾に注ぐ。
太田川とあまり関係ないが、川つながりでいけば、戦国時代に恐れられた毛利の両川、
吉川と小早川というのもあった。