那賀川 (なかがわ)
四国三郎に比べるとあまり目立たないが、
徳島県域だけなら、実はこちらの方が長く、阿波の八郎と呼ばれている。
八郎の愛称は、流域の市町村数が8つだったことや、八の字の縁起により付けられたそうだ。
古代、徳島県の北部は「粟国(あわのくに)」で、南部は「長国(ながのくに)」だったのが、
大化の改新以降、粟国に統一され、その後713年元明天皇の好字令の際、阿波国とされた。
那賀川は長国を流れていたため、長川、長河と江戸期まで表記されていた。
剣山山系の次郎笈(じろうぎゅう)を源頭とし、
中流域では著しく蛇行。阿南市から紀伊水道に注ぐ。