紀の川 (きのかわ)


 日本地図を開いて紀伊半島と四国を眺めると、似たような地形が目に留まる。
 
 それは、海から山へ向かって、楔が食い込んでいるかのような、

 あるいは、山から海へ向かって、ラッパ状に広がっているかのような地形で、
 
 紀伊水道を挟んで左右対称になっている。


 右側は、紀伊半島の紀の川による沖積平野、紀ノ川平野であり、

 左側は、四国の吉野川による沖積平野、吉野川平野である。


 紀の川は、上流の奈良県内では吉野川と呼ばれており、

 まるで紀伊水道の海の底でもつながっている一本の川のように、

 この両川は、名前までもが一致している。


 名前はたまたまだろうが、左右対称にはちゃんとした訳がある。

 紀の川も吉野川も、中央構造線に沿って流れているのである。

 日本列島を画する大断層が流れのベースとなっているからには、

 流れる方向は真逆だが、地形が似ているのは当然のことだろう。

 

 その名の由来は、もちろん紀州の川ということだけど、紀は何を意味するのか。

 紀伊国は始め木国であり、雨が多く木が生い茂っていることからとの説がある。

 また、有力豪族の紀氏が支配していた地域なので紀の国との説もある。

 713年の好字令の際、紀伊国と表記するようになった。



 紀伊国は、律令制の五畿七道では南海道に属する。

 南海道は、四国と淡路と紀伊からなり、海上交通盛んな当時から、

 四国とつながりが深かったと考えられる。

 海上はもちろん、やはり海底でもつながっているのかもしれない。



 宮川、北山川と同じく日本有数の豪雨地帯、大台ヶ原を源頭とし、

 奈良県ではその歴史的地名と同じく吉野川と呼ばれ、和歌山市から紀伊水道に注ぐ。