熊野川 (くまのがわ)


 熊野といえば、霊的な信仰がイメージされる。

 それは太古からの自然崇拝に、神道、仏教が混ざり合った感じだ。


 熊野とは元々どういう意味なのか。

 地名に熊、隈、隅、球磨、久万などいろんなクマがある。

 推測するに、これらは文字の無かった日本の御先祖様たちが、

 何かのことをクマと呼んでいたところに、漢字が入って来て、いろんな字を充てたのではなかろうか。

 もとの意味は同じで、充てた漢字が違うだけなのではあるまいか。

 とすると、熊野や球磨、あるいは熊襲というのも同じことなのかもしれない。


 クマの意味にはいろんな説がある。

 「クマ」は「カミ」を意味し、「神のいる所」の意とする説、

 「クマ」は「こもる」の意で、「樹木が鬱蒼とこもる所」又は「死者の霊魂がこもる所」の意とする説、

 「クマ」は「隅(くま=すみ)」の意で、都から見て「辺境の地」の意とする説。


 これらの説を混ざり合わせ、「樹木が鬱蒼とした辺境の地で、霊魂が宿る神域」とすれば、

 なんとなく熊野のイメージに重なってくる。


 信仰のイメージは、主に熊野三山から来るものだろう。

 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は、それぞれ本宮、新宮、那智と呼ばれ、

 御神体はそれぞれ、熊野川、ゴトビキ岩、那智滝とされる。


 古来、山岳信仰と仏教が混ざり合った修験道の聖地だったが、

 熊野には、死者の国のイメージもあったためか、

 浄土信仰や本地垂迹思想の流行により、熊野は現世にある浄土の地とみなされるようになった。


 本宮の主祭神、スサノオ命は阿弥陀如来の権現であり、本宮は西方極楽浄土の地とされ、

 新宮の主祭神、イザナギ命は薬師如来の権現であり、新宮は東方浄瑠璃浄土の地とされ、

 那智の主祭神、イザナミ命は千手観音の権現であり、那智は南方補陀落浄土の地とされた。


 院政期になって、上皇が頻繁に熊野御幸を行うようになると、広く知られるようになり、

 その後、上下貴賤男女を問わず、浄土に往生するため大勢の人々が列をなして熊野を目指した。

 その様は「蟻の熊野詣」と例えられた。


 その参詣の道が熊野古道であり、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。

 中でも本宮と新宮の間の熊野川は、世界で唯一、川の参詣道として登録さている。


 
 熊野川は山上ヶ岳に源を発し、奈良県では天ノ川、十津川と呼ばれ、大台ヶ原を源流とする北山川を併せ、

 和歌山と三重の県境となって流れ、新宮市から熊野灘に注ぐ。


 北山川は、支流といっても本流と同じくらい長く、川沿いには和歌山県の飛地、北山村がある。

 昔から良質な吉野杉に恵まれ、切り出された木材は筏で新宮まで運ばれた。

 そのころの北山村の大半は筏師であり、新宮の木材業者とは共存共栄の関係だった。

 廃藩置県により、新宮が和歌山県に編入されると、北山村は地理的には奈良県に属するところを

 村の意見が聞き入れられ、和歌山県に編入され、川が結ぶ飛び地となった。


 また北山川には、瀞峡と呼ばれる峡谷がある。

 上流から、奥瀞、上瀞、下瀞と呼ばれ、下瀞は瀞八丁の名で特に有名であり、

 巨岩、奇岩、断崖が続く渓谷美によって、古くから名勝とされている。