五十鈴川 (いすずがわ)
御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれる。
御裳濯川の流れと言えば、皇統のことをさす。
伊勢神宮内宮の禊川でもあり、神路山を源として伊勢神宮を流れ伊勢湾へ注ぐ。
第11代垂仁天皇の皇女倭姫命は、天照大神の鎮座地を求め、
大和を旅立ち近江、美濃など巡って伊勢に着いた。
大神のお告げを得て、五十鈴川のほとりに斎宮を建てたとされる。
伊勢神宮の創建である。
その倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだというので御裳濯川と云われる。
古くから歌枕として多く歌われた。
朝日さす御裳濯川の春の空のどかなるべき世の気色かな 後鳥羽院
やはらぐる光りにあまる影なれや五十鈴川原の秋の夜の月 慈円
いかばかり涼しかるらん仕へきて御裳濯川を渡る心は 西行
西行は、伊勢神宮の内宮と外宮に奉納するため、それぞれ御裳濯河歌合と宮河歌合を編纂した。
最も古い自作自選の歌合せといわれ、前者は藤原俊成、後者は藤原定家の判詞が付いている。
御裳濯河歌合から名歌を少しチョイス。
願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ
ほととぎす深き峯より出でにけり外山の裾にこゑの落ちくる
あはれいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野のはら
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
ちなみに五十鈴川は、いすゞ自動車の社名にもなっている。