天竜川 (てんりゅうがわ)
諏訪湖に集まった雨水は、天竜川となって伊那盆地を南下し、
三遠信の険しい山岳地帯を抜け、浜松と磐田の間から遠州灘に注ぐ。
また、木曽山脈と赤石山脈の間を流れ、急峻な地形のためか古くから水害が多く、
「暴れ天竜」として知られる。
恵那山に上った翌日、天竜川を舟で下った。
晩秋の寒い日で、カップ酒「燗番娘」を持ち込んで楽しんだ。
唐笠で鉄道に乗り換え、天竜川沿いを南下したが、トンネル138ヶ所の飯田線には驚いた。
よくこんな険しい山岳地帯に線路を敷いたもんだ。
昭和初期、電源開発もあって、わざわざ天竜川沿いに、多くの外国人の犠牲を伴って建設された。
秘境といわれる車窓を眺めながら、当時の国策の強引さに半ば呆れるばかりだった。
水量が豊富で急峻な地形の天竜川は、電源開発の適地として目をつけられ、
戦前戦後、ダムが次々に造られ、流域は日本有数の水力発電地帯となった。
昭和31年に建設された佐久間ダムは、水没する飯田線の付け替えをも伴う大工事だった。
天竜川は、中央構造線付近を流れており、古来より流域の崩落が激しく、
大量の土砂が天竜川を経て遠州灘に運ばれ、海岸に砂丘ができてウミガメの産卵場になっている。
天竜川に多数のダムが建設されると、ダムに土砂が堆積するようになり、砂丘の後退が始まった。
波によって浸食される砂の量と、天竜川から運ばれてくる砂の量のバランスが崩れ、
海岸線が毎年平均5mほど後退し続けている。