渡良瀬川 (わたらせがわ)
鬼怒川と同じく、もともと独立して海へ流れていた。
今の江戸川の流路近くを、利根川と平行して東京湾に流れ出していた。
それが家康によって無理矢理ひっ付けられ、利根川の支流になってしまった。
名の由来は、足尾町渡良瀬に由来する。
日光を開山した勝道上人が川を渡ろうとしたとき、ちょうど良い浅瀬があった。
その場所を渡良瀬と名づけたという。
伝承なんだからもう少し工夫すればいいものを、なんか全然面白くない。
確か皇海山頂に渡良瀬川水源の碑があった。
皇海山に発し足尾山塊の水を集めて南西に流れ、群馬県みどり市で南東へ向きを変える。
桐生市から足利市、太田市、佐野市、館林市など両毛地域を東南東へ流れ、
渡良瀬遊水地に入り、巴波川(うずまがわ)と思川を併せ、茨城県古河市と埼玉県加須市の境界で利根川に合流する。
広大な渡良瀬遊水地は、足尾銅山の鉱毒を沈殿させるめに作られた。
足尾銅山鉱毒事件は、日本の公害の原点であり、原因企業は古河鉱業。
銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質により、周辺環境に著しい被害をもたらした。
栃木の政治家田中正造が中心となり、国に問題提起するものの、精錬所は平成元年まで稼働し続けた。
渡良瀬遊水地の土壌には現在でも銅などの鉱毒が多く含まれており、
また、東日本大震災による土砂崩れにより渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、
現在でも影響が残っている。