九頭龍川 (くずりゅうがわ)


 なんとなく中華風な名前だ。ブルースリーが出てきそうな雰囲気がある。

 名の由来を調べてみると、いろんな説がある。


 一つ目は、寛平元年(889年)、平泉寺の白山権現が衆徒の前に示現され、その尊像を川に浮かばせたところ、

 一身九頭の竜が現れ、尊像を捧げいただき流れに下って黒竜大明神社の対岸に着いた。

 それ以降、この川を九頭竜川と名付けられた。「越前名蹟考」

 なんだかよくわからないが、ヤマタノオロチ説のようだ。


 二つ目は、承平の頃(931年頃)、国土を譲るために国の四隅、

 すなわち東は常陸の鹿島、西は安芸の厳島、南は紀伊の熊野、そして北は越前の崩山に四神が置かれた。

 黒竜大明神の祭神は水体、黒竜王であり、その前を流れる川を「黒竜川」と呼ばれた。「国主記」

 これもイマイチよくわからないが、青龍、白龍(白虎)、赤龍(朱雀)、黒龍(玄武)などの五行説か。


 三つ目は、「大乗院寺社雑事記」(1480年)の絵図に「崩川」という名前が見られ、

 「太平記」には黒竜神社を"クズレ明神"と記され、時を経て訛り、九頭竜川となった。



 どうもあやしいのは、3説ともに年次が明示されていることだ。

 そんな大昔のことが1年単位で伝わるのだろうか。


 昔から雨が多く山崩れの多い地域で、地元の人々がその特徴をもってクズレ川と呼んできたとすれば、

 崩川説はなんとなく分かるが、特に1番目のキングギドラかヤマタノオロチのような説は、

 もちろん古事記などと同じく神話的伝承だろうが、何を言いたいのか、はたまた何を比喩しているのか不明であり、

 なかなか腑に落ちるものではない。



 推察するに、この3説は順序が逆なのではあるまいか。


 時代区分   原始    →  古代・中世     → 近世


 流行思想   自然崇拝     仏教儒教        国学


 川の名前   クズレ川     クズレ川(庶民)    九頭竜川
          (第3説)     黒龍川(インテリ)    (第1説)   
                     (第2説)


 想像だが、福井松平藩は、自国経営の要でもある川の名について考えた。

 クズレでは縁起が悪いし、黒龍では中華風で流行らない。

 語呂合わせもあって、日本各地に残る九頭竜伝説をひっぱてきて、越前名蹟考などでPRしたのかもしれない。



 白山から下りて、タクシーで越前大野へ出た。ホテルで教えてもらった居酒屋へ向かう。

 おやじの講釈がちょっと煩かったが、越前の甘エビを肴に、九頭竜の清流を想わせる地酒を美味しくいただいた。

 甘エビは色白でデカく、ねっとりと甘く、それまで甘エビと思って食べていた細小なものとは、全く別物だった。


 翌日荒島岳に登頂し、勝原駅から九頭竜線で福井市へ向かった。