阿賀野川 (あがのがわ)
どでかい川だ。河口は新潟だが、会津の印象が強い。
上流に猪苗代湖がある。九州者からすれば全く海のような広さである。
磐梯山頂からその全貌を眺めた。五月雨を集めて溢れんばかりだった。
そして会津盆地は、阿賀川の洪水後の爪跡のような地形だった。
新潟に入ると阿賀野川になるが、阿賀町(東蒲原郡)はもともと会津だった。
会津藩主松平容保は京都守護職となり、新撰組を配下とし、新政府に対し徹底して戦った。
戊辰戦争後、会津は冷遇され、広大な面積、独自の歴史と文化があるにもかかわらず、
福島県に組み込まれてしまった。しかも県都は、当時の若松に比べようもない福島だった。
会津から県庁まで遠いので、郡山への県庁移転運動が起こったが、
内務省は、なにを言うか賊軍がとばかりに、遠いというのならと、
なんと、会津北西部の東蒲原郡を新潟県へ組み込んでしまった。
そこで問題になったのが、飯豊山。会津の心の山だ。
東蒲原郡と共に会津からなくなってしまったのだ。
紆余曲折後、飯豊山御西山頂まで山道の幅だけ長ひょろく福島県(会津)が入り込んでいる。
会津根、磐梯山は、明治21年に大噴火し、山体の一部が吹っ飛び、猪苗代湖に流入する長瀬川を堰き止め、
桧原湖・小野川湖・秋元湖を中心とする裏磐梯が出現した。
ここは吾妻連峰、安達太良山、磐梯山に囲まれた森と湖の美しき避暑地で、とても気に入っている。
国民休暇村「裏磐梯」をベースに五色沼散策、ボート、釣りなど、家族でのんびり過ごした秋の週末が思い出される。
また、忘れちゃいけないのが支流の只見川だ。支流といっても本流の阿賀川より長い。
戦後、電源開発のため目をつけられ、いくつものダムで堰き止められた。中には特大のダム湖ができている。
最も上流の奥只見湖もそのひとつであるが、驚いたのはその建設用道路、シルバーラインである。
ここまでして作るのか思うほど、長大なトンネルを魚沼方面からブチ抜いていた。
笹子トンネルではないが、たしか四角トンネルだったし、元々工事用のものだろうから、
そろそろヤバいんじゃないだろうか。広くなったり狭くなったり、岩盤露出だったり、
なんだか突貫工事のような感じだった。あんまり通りたくない道だ。
奥只見湖は銀山湖とも呼ばれ、釣の聖地となっている。キャッチ&リリースである。
魚沼駒ケ岳から銀山平に下り、駒の湯温泉に浸かって、清四郎小屋へと向かった。
ほとんど車の通らない、ザロング&ワインディング道だった。
翌早朝、鷹ノ巣尾根を延々と平ヶ岳に上った。
まさに日本のチベットとでもいうべき山奥のそのまた奥だった。
さらに上流には、夏が来れば思い出す遥かな尾瀬が広がる。
日本に4つしかない特別天然記念物(大雪山、尾瀬、黒部峡谷、上高地)の1つであり、
四季それぞれに行ってみたい憧れの聖地である。
まだ残雪深い初夏、尾瀬沼から燧ヶ岳に上り、尾瀬ヶ原を縦断した。
鮮烈な雪解の流れの中に、ミズバショウが咲いていた。