三面川 (みおもてがわ)
 

 サケ川ともいわれる。酒ではなく鮭だ。

 朝日連峰に源を発し、鮭のまち越後村上を貫流し、日本海に注ぐ。


 古代から、庸・調として越後からは鮭が納められた。

 近世には、村上藩士が世界で初めて鮭の母川回帰性を発見。産卵を保護する種川の制により飛躍的に漁が増え藩財政を助けた。

 更に近代、日本で初めて鮭の人工ふ化に成功。その収益により育英制度が設けられ、「鮭の子」と呼ばれる人々を輩出した。

 現代でも、軒先に吊るされた塩引き鮭が、冬の村上の風物詩となっている。

 
 鮭を余すところなく、頭の先からしっぽの先まで食べつくすのが村上流とのことだ。

 塩引き鮭、氷頭なます、鮭の酒びたし。鮭ばかりではなく、もちろん酒もある。銘酒、〆張鶴、大洋盛。

 
 念願の村上を訪れたのは夏も終わりの夕方だった。

 宿で教えてもらった駅前の「味作」に足を運ぶ。

 さっそく酒びたしを注文し、お薦めの大洋盛紫運をロックでいただく。

 うまい!ぐいぐいグラスがすすむ。これはやばい。

 さらに運よく入荷されていた、獲れたての三面川の鮎を刺身にしてもらった。

 美しい。鮎肌が一部黄色く輝いている。食べるのがもったいないくらいだ。

 こんどは〆張の冷やでいただく。くわ〜、こりゃ〜たまりませんな〜。



 上流の山里には、自らを山人(ヤマンド)と呼び、人々からマタギの里と呼ばれる奥三面集落があり、

 独自の森林文化、自給自足と助け合いの生活スタイルを育んでいたが、

 奥三面ダムの建設により、昭和60年に廃村となってしまった。