屋久島 宮之浦岳(みやのうらだけ) 
 
 
@ 1993.8上旬
 
☆ 交通 : 熊本<マイカー>鹿児島港<フェリー>宮之浦<マイカー>安房<タクシー>淀川登山口 
  
★ 山道 : 淀川登山口、淀川小屋泊、黒味岳、宮之浦岳、新高塚小屋泊、縄文杉、トロッコ道、荒川 
 


 憧れの屋久島航路、カーフェリーで渡った。

 記憶は断片的で、かつ2回目、3回目と入り混じっている。


 屋久島は月に35日雨が降るという。

 特にこの年、梅雨明けが撤回される天候不順で、8月上旬にもかかわらず、

 山は雨、山道は所々川のようだった。

 山頂でラーメンを食べていると、またザーザー降ってきて、うたれるままに食べ続けた。


 翌日、縄文杉にタッチ。

 けしからんことに、相々傘が彫ってあった。


 
 ウイルソン株
縄文杉
  
 トロッコ道 荒川へ着いたところか。
 

 小杉谷辺りのトロッコ道で、はぐれ一匹猿にとおせんぼされる。


 荒川に着くと、そこに狂人がいた。突発的に叫び続けている。

 奥さん曰く、娘と小杉谷まで行っておかしくなったとのこと。

 狂人を後ろに乗せて、狂人の車を運転し、安房の病院へ連れて行った。

 翌々日、港のお土産店で偶然再会し、奥さんからお礼に三岳をいただいた。

 本人は何も覚えていなかった。


 Tさんの車で島内観光。

 トローキの滝、千尋の滝、大川の滝を見学し、平中海中温泉に浸かり、
  
 フルーツガーデンで初めてパッションフルーツを食べた。

 安房の民宿や小料理店で、見慣れぬ貝や刺身をいただき、三岳を楽しんだ。


 鹿児島に戻ると、大水害で混乱しており、なんとか市内を脱出し、帰りついたのは真夜中だった。





 
A 1995.GW
 
☆交通や★山道は、@と同じ。
  

 総勢8名、車2台、カーフェリーで渡った。
 
 島に着いた日は豪雨のため山入りを順延。


 翌日出発。淀川小屋で酒盛りを楽しむ。

 東京から来たおばさん軍団に注意されてしまった。

 酒盛りが羨ましいのに違いない。


 翌日やっぱり天気はぐずついている。

 黒味に上り、強風の宮之浦岳を下り、新高塚小屋泊。

 カレーライスが美味かった。


 縄文杉で記念撮影。


 ウイルソン株に友人が登ってしまった。気持ちは分か

 らないでもないが、当然のごとく叱られた。
 


 下山後、一回目と同じ安房の宿に泊まり、屋形船を楽しんだ。

 刺身も焼酎も景色も雰囲気もグッドで、屋久島の意外とお奨めは屋形船だ!


 帰りのフェリーで、甲板から海を眺めていると、飛魚が飛んでいるのを初めて見た。

 まさに飛び魚、飛ぶのはチョットではなく、ず〜と数百メートル、フェリーと一緒に飛んで行った。





 B 1997.体育の日
 
 
 ☆交通 : 熊本<マイカー>鹿児島空港<飛行機>屋久島<タクシー>淀川登山口
 
 ★山道 : @、Aと同じ
 
  
 
 初めて飛行機で行った。


 空港近くでガスボンベを仕入れ、どこかでトビウオの
 刺身を買ってこられ、淀川小屋で刺身を食べた。
 山小屋での刺身の贅沢は初めてだった。


 山は3回目にして、ついに晴れた。
 黒味からは海が見え、宮之浦、永田をはじめ、山々の
 全貌を初めて眺めることができた。
  
 
 
  
 急いだにもかかわらず、新高塚小屋は満杯。
 ギリギリで寝床を確保できた。

 到着が遅くなって、小屋に入らずに、シュラフで野宿し
 ている人も多く見かけた。


 寝床の隣人は同じ熊本の方々で、なんと母親の捜索
 のため、兄弟で毎週末来ているとのことだった。
 地元の山師が2人随行していた。

 母親はこの夏、この小屋以降、行方不明になった。
 夜、トイレに行ってそのまま帰ってこなかったらしいとの
 こと。なんとも痛ましい話である。

 しかし、山師の話は、今日探した尾根で霊を感じたとか
 ちょっと超自然的で、暗闇の中で聞いていると、なんと
 も不気味だった。
 

 翌日も晴れ。

 世界遺産になったためか、縄文杉には物見やぐらがで
 きていて、もうタッチすることはできなかった。

 下山後、民宿で首折れサバを美味しく頂いた。
 
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