2021.2.21 早吸日女神社 臼杵のふぐを堪能した翌朝、 陽光の海岸道路を佐賀関へ向かう。 |
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春の海を右手に、半島南海岸をドライブ。 海の匂いが懐かしい。 少々興ざめな製錬所の煙突が見えだすと、 そこは佐賀関。 早吸日女神社は町中にあった。 |
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| 石の鳥居 |
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| 1640年、細川忠利が寄進。 ちなみに忠利の母はガラシャ、 すなわち明智たま。 ということは忠利は明智光秀の孫。 江戸時代、加藤清正以来、 佐賀関は鶴崎とともに、 肥後熊本藩の飛び地だった。 それにしても、 伊豆大島の花崗岩とは恐れ入りました。 舟ではるばる運んできたのか。 |
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| 由緒書 なんとBC667年創祀! 弥生早期か、縄文時代か! またまた恐れ入りました。 門をくぐる前から、次々に驚かされる。 祭神は、住吉三神以外 聞きなれない神々が並んでいる。 早吸日女がいない。 主祭神は、早吸日女ではないのか? 海女の黒砂(いさご)、真砂(まさご)が 蛸から剣を取り上げ、 東遷途上の神武天皇に奉献。 天皇は剣を古宮に捧げ、 建国を請願。 701年、当地に遷座。 伊勢神宮に参拝するのを参宮、 当社に参拝するのを半参宮。 1600年、九州の関ケ原の際、焼失。 1602年、加藤清正により再建。 これまた歴史の厚みがすごい。 神武天皇のとき、既に古宮とは! |
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| 総門をくぐる。鳩が並んでいる。 |
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| 猫が灯篭に溶け込んでいた。 拝殿へたどり着く前に、 境内十二社がある。 |
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| 産土社(うぶすなしゃ)と相殿社が セットになった神社。 向かって左の産土社の祭神は 埴安神(はにやすのかみ)。 土地を守護する神。 右の相殿社には健磐龍命と武内宿禰が、 一緒に祀ってある。 阿蘇の神とホムタワケ政権の武人、 面白い組み合わせだ。 |
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| 木本社 祭神は、椎根津彦神(しいねつひこのかみ) 神武東遷の際、当地から水先案内をした、 東遷ナビゲーター。 のちに大和国造に任ぜられた。 |
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| 立派な右近の橘。 狛犬に鯛マスク。 拝殿を見上げる。 |
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| 神社名に合わない質実剛健な構え、 豪華絢爛な屋根瓦。 |
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| やはり肥後藩主が再建している。 |
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| 中には、蛸がたくさん奉納されている。 |
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| どこか南方系の感じがする屋根瓦。 |
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| 豪華な本殿 黒に、金、朱が鮮やか。 中には蛸が守っていた剣があるのか。 |
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| ものすご分厚い檜葺。 千木が片方水平、片方垂直、 しかも交互になっている。 女神と男神、日女と日子の習合か。 |
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| 破風が陽に輝く本殿。 |
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| 社を一周し、拝殿に戻ってきた。 彫り物が素晴らしい。迫力がある。 拝殿に入る。 |
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| 扁額 緑に変色しているのは、銅のためか。 近くに製錬所があるが、古くは銅山か。 |
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| 拝殿内 紋は下り藤。 藤原氏とも関係ありか。 廃仏毀釈以前は、関の権現さまと慕われた。 |
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| 奥の扁額 なんと書いてあるのでしょうか? 佐賀関権現に航海安全を祈願か? |
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| 本殿に灯りが点っている。 |
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| 浦島太郎の瓦 反対側には竜宮城の瓦がある。 |
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| この瓦も面白い。 速吸瀬戸の波か。 |
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| 拝殿を後にする。 |
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| 帰りに、反対側の境内社にも参拝。 向かって左は歳神社、祭神は大年神御年神。 中央は天然社、祭神は醍醐天皇。 右は若御子社、祭神は、おっと!黒砂と真砂。 神になっていたか。 |
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| 来るとき気づかなかったが、 総門の屋根にも浦島太郎がおられた。 こっちの太郎は、チョット微妙。 早吸日女神社は期待以上だった。 ところでこの辺りには、いたるところに、 姫野さんが目立つ。 早吸日女と関係ありか? そういえば対岸は愛媛県。 関崎へむかう。 |
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| 海星館からの眺めは素晴らしい。 菜の花、水仙、灯台、高島、佐多岬。 四国が近い。 灯台へ下りる。 |
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| 灯台直下、海の色は美しい。 |
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| 速吸瀬戸 流れが速く、吸い込まれそうな瀬戸、 ということだろうか。 今日はとても穏やかです。 |
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| 満開の豊後梅 |
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| 民謡、関の鯛釣り唄 聴いてみたいものだ。 |
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春の海ひねもすのたりのたりかな |
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