(物部神社から) 2022,7.3 出雲大社 大田市から山陰道をバック。 本日のメイン、出雲大社へ向かう。 |
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| 多伎町で海岸に出た。 早くも海水浴を楽しんでいる。 |
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| 行く手の海岸線 長浜から島根半島へ 円弧状に連なる。 日御碕が見える。 数千年前、 温暖化による海面上昇により 島根半島は島になった。 その後、神戸川や斐伊川による 土砂の流出、堆積により 出雲平野ができて 再び陸につながった。 くにびき海岸道路で迷いながら、 何とか大社前に着いた。 少し手前のパーキングに駐車し、 正面から参拝することにした。 |
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| 神門通り(しんもんどおり) カンカン照りだ。 暑くてかなわん。 |
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| お~、出雲大社! 正面の大鳥居 天津神の象徴が、伊勢神宮ならば、 国津神の代表は、出雲大社だろう。 |
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| 広大な境内 |
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| 参道は神殿に向け、下って行く。 |
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| さっそく末社が出て来た。 祓社(はらいのやしろ) 御祭神は祓戸四神 瀬織津比咩(せおりつひめ) 速開都比咩(はやあきつひめ) 気吹戸主(いぶきどぬし) 速佐須良比咩(はやさすらひめ) 祓戸の神は、 私たちが知らないうちに犯した 心身の罪穢を祓い清めて くださるそうだ。 しっかりお詣りする。 あれれ、財布を覗くと、 小銭が足りないかもしれない。 考えてみると、お賽銭は 良くできた集金システムだ。 しかも非課税。 |
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| ここから先は参道が二手に 分かれている。 松の根の保護のためとのこと。 |
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| でた~神話の世界 幸魂奇魂(さきみたまくしみたま) この霊力により大国主は 縁結びの神となった。 |
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| カッコイイ建物があった。 鋭利な刃物のような屋根のシェイプ |
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| 会所だった。 |
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| 空を刺す軒先 |
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| 拝殿に到着 親子がお詣りしている。 今では出雲大社と呼ばれているが、 明治4年まで、杵築大社だった。 大社の祭祀は、 古来、出雲国造の出雲氏が司った。 しかし南北朝時代、 跡目争いで兄弟が分裂、 千家氏と北島氏に分かれた。 その後、交替で宮司を務めていたが、 明治以降、千家氏単独となった。 |
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| 広く厳かな境内の様子 |
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| 東回廊の観察楼 左手前に手水があった。 あまりの暑さに水を頭からかぶった。 ひゃ~冷たくて気持ちいい! 頭水は、あまり聞いたことがない。 |
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| 白色の御朱印帳をいただいた。 「御朱印料は定めておりません。 お気持ちで、お納め下さい。」 これが一番厄介だ。 はて、いくら払うか。 お気持ちは大きくなったり、 小さくなったりするものだ。 一つ前の参拝客も、 もぞもぞされていた。 |
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| 八足門(やつあしもん) ここで参拝する。 はるばる九州からやってきました。 大国主よ あなたは一体何者なのか。 |
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| 中を覗く。 楼門があり、その向こうに 本殿への階段があった。 |
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| 蟇股の彫り物は 何なのかよく分らない。 |
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| 隙間から中を覗く。 本殿の緑の破風板が見える。 |
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| その右に神饌所 内側の囲いは玉垣 |
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| 外側の広大な囲いは瑞垣 |
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| 本殿が見える。 雲太和二京三 平安時代の高層建築ベストスリー 出雲が一番、大和が二番、 京都が三番ということだ。 すなわち、 一番は、出雲大社神殿 二番は、東大寺大仏殿 三番は、平安京大極殿 |
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| 長屋風の末社 |
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| 十九社 旧暦十月すなわち神無月、 出雲だけは神在月となるらしい。 全国から集まった八百萬神のお宿、 神々のビジネスホテルか。 荒垣の外の神楽殿に行く。 |
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| 巨大な注連縄(しめなわ) 注連縄とは封印である。 中から恐ろしい災禍が 出てこないように 〆てあるのだろう。 注連縄の大きさは 祀る側の人々の恐怖の大きさが 表れていると云われる。 例えば、祀られている神が強大で かつ、その神から怨まれても 仕方がない事をしでかした。 その祟りがとても恐ろしいので、 祀る人々の恐怖が大きくなり 巨大な注連縄となった。 大国主は巨大な怨霊神かもしれない。 |
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| 荒垣の中へ戻る。 恐ろしい怨霊を前にして、 子供が遊んでいる。 縁結びの神と称し、 人々を観光、参拝に導き お賽銭が投入される。 それを財源に本殿など 怨霊の鎮魂施設や 鎮魂祭事が維持される。 ホントに良くできた持続可能な 神社システムだ。 瑞垣のまわりを一周する。 |
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| 出雲国造家の 南の氏社(うじのやしろ) |
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| 御祭神は、宮向宿禰命 出雲国造家は、 大国主を祭祀するとともに 出雲国を統治したらしい。 |
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| 瑞垣の向こうに、本殿が聳える。 左に筑紫社も見える。 |
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| 筑紫社の御祭神は 多紀理比売(タギリヒメ) 宗像三女神の長女で 沖ノ島の御祭神でもある。 大国主の奥様の一人らしい。 |
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| 本殿の正面は南なのに 大国主は西を向いている。 大国主に対してはここが 正対する場所らしい。 |
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| 本殿平面図 本殿の配置からして、 大国主はあたかも御神座に 幽閉されているようだ。 御客座五神が見張り番だろう。 しかもその五神は、 古事記で最初に出てくる 天地開闢の神々だ。 天孫族は強力な御先祖様を 表面ではお客様としながら 大国主の見張り番に選んだ。 正面から参拝すれば 向きからして お客様の五神を 拝んでいることになる。 |
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| 北の氏社 |
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| 祭神は天穂日(アメノホヒ) アマテラスの二番目の子で 出雲国造家の祖先。 アマテラスにより 大国主の祭主となった。 大国主には、 大物主、大穴持、八千矛など 多くの別名がある。 出雲風土記には、 「所造天下大神」とある。 (あめのしたつくらししおおかみ) 天下すなわち、 豊葦原の瑞穂国を造った。 そして、記紀神話では アマテラスの天孫族に 「国を譲った」とされる。 国を譲れと言われて 譲るわけがない。 古今東西、歴史のセオリー、 勝者による正当化だろう。 「無理やり取ったんじゃありません 譲っていただいたのです。」 と勝者は侵略を正当化する。 その背後にある史実は何か。 戦争なのか、クーデターなのか。 いずれにせよ武力を背景とした 征服あるいは乗っ取りだろう。 |
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| これは何の社か 氏社よりも大きいが説明版なし。 |
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| 素鵞社(そがのやしろ) 本殿のちょうど裏側に位置する。 |
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| 主祭神はスサノヲ 平安時代前期から江戸時代前期 までの約800年間、出雲大社の 主祭神は、な~んとスサノヲだった。 一体全体どういうこと? 仏教系の伝承ではスサノヲが 国造りを行ったとされ、 神仏混淆の時代、主祭神は スサノヲとされていたらしい。 |
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| 美しい素鵞社 |
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| 北東の瑞垣角から 右から本殿、御向社、天前社 オオクニヌシには、記紀をはじめ いろんなエピソードがあるため、 一個人のようにも思われる。 しかし、実は一般的な人物像を 表しているのではないだろうか。 すなわち、オオクニヌシというのは 固有名詞ではなく、 普通名詞ではないだろうか。 そしてそれは、征服された 大国の王を意味しているのではないか。 ヤマト王権による列島統一の際、 その傘下に入らず、抗戦するも ついには滅ばされた地域王への 贈り名ではないだろうか。 強大だった王が祟らぬように 祀り上げる必要がある。 さりとて、反逆者を本名で 崇めさせては、将来の火種に なりかねない。 滅んだ王への鎮魂、レクイエム と地域住民の懐柔策として 前王を大国主として 祀ったのではないだろうか。 |
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| 本殿の隣、御向社の御祭神は、 スセリヒメ こちらもオオクニヌシの奥様 そしてスサノヲの娘さん。 記紀によるとオオクニヌシは スサノヲの息子とか 6世孫とかになっている。 神話だから仕方ないが、 この辺りの家族関係は かなり混乱している。 |
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| そのまた隣の天前社の御祭神は、 キサガイヒメとウムガイヒメ。 兄神たちによって焼け死んだ オオクニヌシは 両ヒメの治療により生き返った。 蚶貝はアカガイ、蛤貝はハマグリ を神格化したものとされる。 |
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| 釜社(かまのやしろ) |
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| 御祭神は宇迦之魂(ウカノミタマ) 多くの神社の片隅にある 稲荷社の御祭神 |
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| 東側にも長屋があった。 |
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| 十九社 八百萬神のお宿 神在月には、満室になるらしい。 なぜ十九社なのか。 1は始まり、9は終わりを表す数字で、 1と9が結合した19は 無限や永遠を意味するらしい。 それで部屋数は無限であり、 八百萬(やおろず)の神も みんな泊まれるというわけだ。 |
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| 東側の北島国造館の通り 千家国造館の西側に比べ、 ひっそりとしている。 |
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| 生れこし本とは何のことだろう。 父母か、御先祖様か、大国主か。 参道を引き返し、 神門通りをブラブラ歩く。 参拝記念に手頃な勾玉が ないか物色するも これといったものは無かった。 日御碕神社へ |