田村神社から |
2022.4.30 またもや高速のトンネルで 県境を越えた。 徳島県へ入る。 まずは、鳴門の渦潮◎ もう少しで大鳴門橋なのに、 渋滞にはまってしまった。 観光船への横道へ入り、駐車。 しかし、船は過密状態。 歩いて大鳴門橋へ行くことにした。 |
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階段を上ると、海が広がった。 |
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鳴門海峡 大鳴門橋 遊歩道へ入場する。 |
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おお!けっこう 渦巻いている。 |
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案内板があった。 左は淡路島、奥に本州、和歌山県 右は四国、徳島県 |
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次々に渦巻く◎ |
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鳴門の渦潮は 本当に渦巻いていた。 |
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歌川広重の阿波鳴門之風景 昔も今も同じように渦巻いていた。 渦潮は期待以上だった! 腹が鳴って、 ラーメンのナルトが頭をよぎる。 昼飯は奮発して寿司にした。 |
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通りがかりの寿司屋へ入る。 小づち寿司 あらの味噌汁が美味かった。 阿波の一の宮へ向かう。 |
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阿波一の宮、 大麻比古神社に着いた。 大麻は「おおあさ」だが、 これは、「たいま」とも読む。 そう、マリファナだ。 日本には古来、大麻が自生し、 また、縄や布の原料として 栽培されてきた。 麻生、麻田などの地名は その名残だろう。 縄文土器の模様は 麻縄であり、 縄文人の衣服も麻布だった。 注連縄は本来麻で作られる。 神社のお祓いの道具は 大麻(おおぬさ)であり、 また、紙製の大麻を 人々が神棚に祀っている。 日本人と大麻の関係は とても長く深い。 |
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高崎山みたいだ。 |
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でか~ 巨大な楠があった。 |
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近づいて見る。 一つ目の大きな穴が開いていた。 |
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あれ、れ? な~んと神社は工事中 ガ~ン 仕方ない。 御朱印をいただき、 由緒書をもらった。 御祭神は大麻比古大神、 天太玉命とされる。 天太玉命は古代祭祀氏族、 忌部(いんべ、後の斎部)の祖。 |
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特徴的な狛犬 斎部広成の「古語拾遺」によると、 「天太玉命の孫、天富命は、 阿波の忌部の祖、天日鷲命の孫を 阿波へ遣って麻を殖やした」 とある。 また、「その子孫が、大嘗祭で 麻布(あらたえ)を貢ぐ」 とあり、これは今も続く。 阿波忌部の末裔、三木氏が 令和の大嘗祭で、麻の 麁服(あらたえ)を調進した。 また、「阿波の忌部を分ち、 東国に往きて、麻、穀(かぢ) をうえ、よい麻が生えた所を 総国(ふさのくに)」とある。 千葉県のことだ。 古語に麻を総と言った。 「穀の木が生えた所を 結城郡という」とある。 穀の木から木綿が採れる ことに由来する。 「阿波の忌部の居る所を 安房の郡(こほり)と名づく」 とある。安房国のことだ。 |
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大三島の神が祀られていた。 |
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奥宮の遥拝所があった。 大麻山の山頂には 猿田彦大神が祀られていた。 阿波は粟のことで、 その生産適地だったのだろう。 粟は稲より早く伝来し、 縄文時代には栽培されていた。 粟と麻 大麻比古は縄文文化を 今に伝える神だった。 |
霊山寺へ |