2020.9.26 韓国宇豆峯神社


上野原遺跡を散策したのち、

国分の宿へ戻る途中、立ち寄った。

場所がなかなかわかりにくかった。




なかなかカッコいい。

南国の雰囲気漂う。





714年、豊前からの移民が建立したようだ。


移民はフロンティア統治の常套手段で、

服従した隼人や蝦夷の教導のため、

薩摩には肥後から、

出羽には越後や信濃から、

そして大隅には豊前から、

多数の移民が行われた。


明治期の日本でも目的は多少違うが、

北海道には、北広島を始め、

日本各地の地名があり、移民が行われた。

開拓民は、新大地を故郷の名で呼んだ。


世界も同じで、アメリカにイギリスの地名が

たくさんあるのは周知の事実である。


しかし、建立から約1,300年、

国粋主義など世相はいろいろあった

にもかかわらず、

韓国の名を今に伝えるのは驚くべきことだ。

豊前から移住して当社を建立した民は、

韓国からの渡来人で、

スサノオ命の子、五十猛命は、

もともと韓国の神なのだろうか。





すごい瓦がある。

玄海の荒波か?古墳のワラビ紋か?





扁額。

色彩は朱というよりも赤。





正面から見る。




灯篭に紋が彫ってあった。



国分に戻り、日当山温泉に浸かる。



公衆温泉があった。

大きくシンプルで露天まである。

大当たりだ。





夕食は座・寿鈴にした。

これまた大当たりで、錦江湾の海の幸と、

国分の焼酎をおいしく頂いた。





翌日、迫力ある犬飼の滝に立ち寄りながら、

栗野までは下道をゆっくり帰った。


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