2022.4.28


GW、四国一周の旅に出かける。


諸国一宮や名勝旧跡を巡る予定だ。


阿蘇を朝6時前に出発。

早朝の外輪山に

滝雲が掛かっていた。


港までのドライブは快調で、

8時前に佐賀関へ着いた。


予約のフェリーは9時発。

ターミナルでWi-Fiをつなげ、

出航まで時間つぶし。


フェリーの先端部が開いた。


九州をあとにする。


70分の航海

とても速い!

有明フェリーとは大違いだ。


佐多岬が近づいてきた。


三崎港に到着!


四国は近いようで遠い。

上陸するのは何度目だろうか。


山で3回、仕事で1回、観光で1回?

6回目か?


佐多岬半島を過ぎて、

伊予灘沿岸の国道を選んだ。


途中、肱川河口に掛かる

日本最古の道路開閉橋


春の伊予灘を眺めながら、

快適な海岸道路を松山へ向かう。


最初の観光スポットは、松山城


お城へはリフトで上がる。


ロープウエイもあったが、

こっちの方が、気持ちよさそうだ。


立派な石垣だ!

熊本県民でさえ、

そう思わざるを得ない。


日本最大規模を誇る登り石垣


築城は、加藤清正と同じく

賤ケ岳七本槍の一人、加藤嘉明


天守閣が見えてきた。

現存12天守の一つ


連郭式平山城、どっしりした構えだ。


1602年、加藤嘉明が築城に着手

翌年、嘉明がこの地を松山と命名


1627年、嘉明は会津へ国替になり、

城主は、蒲生氏から松平氏へと変遷


天守からの眺め1


伊予灘、忽那諸島方面

ビルが立ち並ぶ。

松山は大きな都市だった。


天守からの眺め2


反対の内陸方面

石鎚山がうっすら見えていた。


松山城を出て、城下で昼食


十割蕎麦屋の名物らしい

黒紅そばのぶたを食べる。

なかなか美味かった。


道後温泉は人が多そうでパス。


山道をしまなみ海道へ。


来島海峡大橋を渡る。


凄い橋だ。

とくもまあ、こんな巨大なものを

掛けたもんだ。


自転車も多い。


大島南ICで下りて、

亀老山展望公園へ向かう。


燧灘に浮かぶ島々

素晴らしい眺めだ。


島がひしめき合う大三島方面


渡ってきた来島海峡大橋

逆光で海面が光る。


宿泊予定の大三島へ向かう。

そこには伊予一宮の

大山祇神社がある。


午後5時までに行かねば、

御朱印をもらえないというのに、

しまなみ海道で火災発生、渋滞。

走っている車から火が出たらしい。


大三島に着いたのは

5時過ぎだった。


大山祇神社

全国に一万社以上ある

大山積神を祀る神社の

総本社である。


このような巨大な神社が、

なぜ瀬戸内の島にあるのか。


迫力とユーモアを感じる

特異な狛犬


阿形


鳥居の扁額


日本総鎮守

大山積大明神


日本総鎮守の称号は古く、

平安時代に作られた

木製扁額が残る。


鳥居から入ると

総門があった。


由緒書


オオヤマツミはアマテラスの兄で、

コノハナサクヤヒメの父とある。

皇統への後付けかもしれない。


四国唯一の官幣大社だった。


総門をくぐる。

境内は広大だ。


十七神社

重々しい雰囲気のある建物だ。


長棟造りの平安様式が

残されているとのこと。


伊予一宮であり、

国中の神々をここに祀った。


境内の中央に大楠


ガビーン、神門は閉まっていた。

また明日来よう。


由緒書


大山積大神は、

又の名を和多志大神と言う。


伊予国風土記によると、

「所顕難波高津宮御宇天皇

御世此神自百済国度来坐」

すなわち、

「仁徳天皇の時代に

百済から渡って来た」

と書かれている。


オオヤマツミは元々

百済系渡来人の神だった。


伊豆一宮、三島大社も

同様だろう。


境内には楠の大木が多い。

国指定天然記念物

海神族の造船材か。


鎌倉時代の宝篋印塔


三島水軍、河野通広の子で、

時宗の開祖、一遍が奉納した。


酒殿と八重垣神社

しっかりお参りした。


御鉾神社 ユニークな狛犬


能因法師 雨乞の楠

樹齢3,000年、日本最古の楠


もうボロボロ、

早く成仏させてあげたい感じ。


能因法師が祈雨の参拝したところ

三日三晩、雨が降った。


今日の観光はここまで。


予約しておいた民宿紺玉へ到着

玄関の雑然とした様子に

多少驚いた。


近くに温泉があるとのこと。

マーレ・グラッシア

なんとも似つかわしくない。

ゆっくり汗を流す。


宿に帰り、料理に驚いた。


瀬戸の地魚の刺身


オコゼのから揚げ

絶品


タイの塩焼き


この他にホゴ(ガラカブ)の煮付け

な~んと頭付きの魚が一人3匹も!

おなかパンパンです。


ちょっと散歩に出る。


港から神社への参道

灯篭が連なっていた。



4.29日、早く目が覚めた。

神社へ散歩


今日の天気予報は雨

まだ降り始めていない。


御神体だろうか、

神社後ろの岩山


神社関係者だろうか、

石垣には桧垣さんの名前が

沢山彫られていた。


斎田

御田植祭などが行われる。


おちのみことは越智(おち)氏

の始まりとも云われる。


越智氏は越智郷、今の今治市

を治めていた小市国造


蒙古襲来に当り、河野通有は

当社に祈願し、三島水軍を

率いて筑前へ出発した。



神門はまだ開いていない。

港まで散歩した。


港から神社へ続く参道沿い

の商店街はさびれていた。

架橋の影響だろうか。


宮浦港に着いた。

参拝するには船で来るしかなかった。


海に向かって構える大鳥居


大鳥居など寄付者は

台南市の越智氏、昭和八年。


宿に戻り、朝食をいただき出発。


神社横の物産館で

まんじゅうを買った。

まだ温かい。


これが道中なかなか

無くならなかった。


神門がついに開いた。


雨の参拝

御朱印もいただいた。


日本を代表する古社に

しっかり参拝した。


神殿の様子


摂社の下津社

祭神は高龗神
(たかおかみのかみ)


隼人の舞

なぜここにあるのだろうか。


参拝をして隣の宝物館へ

入ってびっくり!

頼朝や義経が奉納した鎧兜、

天皇が奉納した刀など

国宝や重文に指定された武具の

なんと8割がここにある。



驚きの宝物館をあとにして

今治城へ向かった。



伊曾乃神社へ