2020.9.26 鹿児島神宮
地図で錦江湾の奥まったところに、
隼人町があるのは知っていたが、
訪ねるのは初めてだ。
高速を下りて、空港方面から国分平野へ入り、
日当山西郷どん村に立ち寄ると、
シルバー観光ガイドさんが、
それではチョットだけ、と寄ってこられ、
いろいろとうんちくを語られた。
ここらで一番お薦めは、鹿児島神宮で、
とても由緒正しく、
元々は石体神社の場所にあったとのこと。
また、鹿児島とは桜島のことと教えて頂いた。
飾ってあった西郷さんの紋が
違い鷹の羽だったので、
菊池一族なのに並び鷹の羽ではないんですね、
と話しかけたところ、ガイドさんの目が輝き、
チョット待っててと、
奥から資料を持って来られて説明された。
よくご存じですな~と言われたので、
調子に乗って、
流された先では菊池源吾、
息子は京都市長の菊次郎ですよね、
と言ったところ、
ますます目が輝き、
話がなかなか止まらなかった。
鹿児島神宮に到着。
木馬のお出迎え。
今にも動き出しそうだ。
毎年春の初午祭は、鈴懸馬がたくさん出て、
たいそう賑わうそうだ。
主祭神は山幸彦夫妻で、
八幡大菩薩一族が合祀されている。
2行目の鎮座地の隼人の文字と、
3行目の御祭神の天津日高彦の文字が、
悲しくアンマッチングに感じてしまう。
大隅隼人も、
和を以って貴しとせざるを得なかったのか。
隼人の本来の神は、
それからどうされたのか。
1行目の名前の鹿児島こそ本来の神なのか。
信仰はいまもあるのか。
参道の両脇に御門神社がある。
御門の守り神は向かて右が豊、左が櫛の命。
天津神は、東に豊、西に筑紫を従えるのか。
神社は鹿児島に正対している。
参拝する。
扁額。青が美しい。
南国の海の色だろうか。
鹿児島神宮に伝承がある。
震旦国陳大王の娘大比留女が
処女懐妊出産された。
畏怖した王は母子を舟で海へ流し、
大隅に漂着した。
王子は名を八幡といい、
後に八幡宮として祀られた。
大比留女は筑紫へ入り、
香椎聖母大菩薩となった。
鹿児島神宮は正八幡とも称され、
全国正八幡の本宮である。
いろんな分野で元祖、本家争いがあるが、
八幡宮も例に漏れず、十三塚の伝説など
古来、宇佐神宮と争いがあった。
今昔物語には、
初め大隅国に八幡大菩薩として現れ、
宇佐に遷られたとある。
正の一文字には、
長い歴史と深い想いが込められていた。
信仰玩具がなかなかいい。
中を買った。
これもいい。
人吉のきじ馬と花手箱に似ている。
拝殿の天井絵もきれいだ。
白地に四季の草花が描かれている。
島津家久が金幣を奉納したらしい。
でかい賽銭箱。二才中とは。
別に応神天皇の子、
仁徳天皇一家が祀ってあった。
四所神社の蟇股の彫刻
果物みたいだが、何だろう。
広大な敷地。
鹿児島神社の元の場所と教えてもらった、
石体神社にも行ってみた。
山幸彦が都として経営したという
高千穂宮跡の碑があった。
708年、鹿児島神宮は
ここから現地へ遷ったとのこと。
鹿児島神宮から隼人塚へ。
迫力のある石像。
反乱の時殺されたクマソ、
隼人の霊が祟りをなしたので、
その供養のために建立されたと伝えられる。
平安時代建立。
重厚な四天王。
以下、続日本紀。
713年、日向国から肝坏、贈於、大隅、
姶羅の四郡を割き、始めて大隅国を置く。
720年、隼人が大隅国守を殺す。
同年、征隼人持節大将軍、
大伴旅人を派遣、鎮圧。
また、714年に隼人教導のため、
豊前から200戸移民。
国府が置かれた桑原郡に、
大分、中津川、答、豊国といった
豊前関連地名があり、
天降川流域に移住させられたらしい。
八幡神は移民とともに豊前からもたらされ、
合祀されたのかもしれない。
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