2021.10.31 富士山本宮浅間大社 三島駅前のレンタカーは、朝8時からの営業。 早朝から三嶋大社に参拝し、戻ってくると、 ちょうどいい時間になった。 |
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用意されていた車は、 愛車と同じハスラー! 運転は慣れたものだ。 三島から富士宮へ向かう。 途中、サービスエリアから駿河湾を 眺めることができた。 |
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浅間大社に到着。 全国に1,300ある浅間神社の総本社。 富士の山頂には雲がかかっていた。 |
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初めての浅間大社。 とても大きい神社だ。 富士宮市は、その名のとおり、 本宮を中心に発展してきた街のようだ。 |
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睨みをきかす狛犬 雨がパラパラしだした。 |
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源頼朝の銅像があった。 流鏑馬をしているようだ。 |
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1193年、征夷大将軍になった翌年、 頼朝は壮大な富士の巻狩りを行った。 大勢の御家人が馳せ参じ、 勢子まで含めると70万人が参加。 征夷大将軍の権威誇示や、 軍事演習が目的と云われている。 |
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楼門 最初に社が建てられたのは806年。 平城天皇の命により、 坂上田村麻呂が建造した。 |
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拝殿 関ケ原に勝った徳川家康が、 1604年、本殿、拝殿を始め 30余棟の大造営を行った。 |
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賽銭箱に家紋 珍しい意匠だ。 |
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扁額 主祭神は、木花之佐久夜毘売命とされている。 しかし、コノハナノサクヤビメが神とされたのは、 近世以降のことらしい。 古来、ここで祀られてきたのは浅間大神。 アサマとは火山の古語で、 ここでは背後に聳える富士山のこと。 富士山そのものが神である。 その神がお怒りになって、噴火しないよう、 鎮めるために祀られてきた。 |
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拝殿内の様子 ところで、天孫ニニギの奥様の コノハナサクヤヒメが、 近世以降、なぜ主祭神とされたのか。 木花は桜のことで、 満開のように美しい姫だった。 ひょっとして、お怒りを鎮めるには、 美人が効果的ということか。 |
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本殿の隣に三之宮があった。 |
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本殿 珍しい2階建の浅間造。重要文化財。 |
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反対側には、七之宮があった。 なぜか第3御子と第7御子だけ 近くに祀ってある。 |
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富士山8合目以上の土地の 所有権をめぐる国と神社の訴訟は、 神社側の勝訴となった。 |
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幽玄な雰囲気の池 |
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湧玉池 |
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清く豊かな湧水 |
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道標があった。 |
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山宮御神幸の起点の碑 残念ながら明治になった頃から 伝統行事は行われていない。 |
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湧玉池は古来より 富士登拝の禊の場だった。 |
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湧玉池を水源とする神田川。 潤井川に合流して、駿河湾に注ぐ。 |
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大社前のやきそば まだ昼には早かったが、 富士宮に来たからには、 食べねばなるまい。 美味い! 角の利いた麺だ。 本宮を後にして、山宮へ向かう。 |
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山宮浅間神社の鳥居、参道。 ガイドさんが何気に寄って来られ、 いろいろと教えてくれた。 |
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由緒書 往古、霊峰富士を神として仰ぎ崇め、 始めから神殿がなく、 最も古い形式の神社とある。 最も古いとはいつ頃だろうか。 縄文だろうか弥生だろうか。 |
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籠屋から参道を経て、遥拝所。 参道の中央に鉾立石がある。 鉾立石は、鉾を置いた石。 神霊は鉾に宿った。 |
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鉾立石と遥拝所 遥拝所は溶岩流の末端に当たり、 盛り上がっている。 先の由緒書に、 「祭神は、木花之佐久夜毘売命であるが、 古くは富士大神と申し上げ、 後には浅間大神とも申し上げた。」 とある。 すなわち、順番からすると、 富士神 → 浅間神 → 木花之佐久夜毘売 ということで、 最初の神は、どうやら富士神らしい。 フジとは、その名の由来は何なのか。 百家争鳴、いろんな説がある中で、 最も頷けるのがアイヌ語説である。 アイヌ語説にもいくつかある。 「火」を意味する「フチ」説や 「噴火する」を意味する「プシ」説だ。 現代国語のH音は、古代、P又はK音だった。 すなわち現代のフジは、 古代、プジもしくはクジと考えられ、 「プシ」説が有力ではなかろうか。 古代の富士山は活発に噴火する山であり、 東海地方に住んでいたアイヌ人は、 その山をプシヌプリ(噴火する山)と 呼んでいたかもしれない。 その後、アイヌ人は西からの勢力によって、 東や北への移住を余儀なくされ、 あるいは混合していったのではなかろうか。 そのような中でも、その際立った山の名や、 その山名に由来する地名は、 西からの勢力が改めることができないほど、 深く染み込んでいたのではなかろうか。 アイヌ人のカムイプシ(富士神)は、浅間神と習合し、 更に神話の神とも習合していった。 |
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遥拝所 建物はない。 景行天皇のとき、皇子の日本武尊が この地に富士神の神霊を祀られた。 その後806年、坂上田村麻呂が 本宮の地に壮大な社殿を造り、 浅間神の神霊を山宮(元宮:当地)から 里宮(本宮)へ遷した。 |
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神官や僧侶の席が決まっていた。 |
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本宮にもあったマーク。 ガイドさんから富士氏の棕櫚の家紋と 教えてもらった なんと宮司さんも富士氏らしい。 |
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残念ながら、曇っていて 遥拝所から富士は見えなかった。 |
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晴れていれば、 こんな風に見えるらしい。 |
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いろいろ教えてもらったガイドさんに お礼を述べ、遥拝所を後にした。 続いて、白糸ノ滝へ向かう。 |
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白糸ノ滝 名勝及び天然記念物 |
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富士の湧水が150mにわたって 噴出している様は見事なものだった。 |
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雨も上がり富士が見えてきた。 ナビを久遠寺にセットすると、 まだまだ時間にゆとりがある。 駿河の浅間神社に感激したところで、 甲斐の浅間神社も行かねばなるまい。 朝霧高原を抜け、 甲府へ向かうことにした。 【浅間神社へ】 |