2021.3.27 高良大社


今年の桜は早く、

場所によっては、もう散り始めている。


朝から陽気に誘われ、九州の大神社の一つ、

高良さんへ向かう。


ところで大社は、神社とどう違うのか。


明治維新まで大社(おおやしろ)は

出雲大社だけだった。

国津神を祀る旧官幣大社や旧国幣大社が、

戦後、大社を名乗ったらしい。

まあ、その名のとおり大きな神社ということか。


高速を久留米で下りてしばらくすると、

鳥居が見えてきた。


横の小学校に駐車させていただいた。

坊津街道府中宿本陣跡とある。

 
御井小学校の満開の桜

この辺りは元々御井郡だった。


一ノ鳥居

逆光が厳しい。


巨大扁額、玉垂宮。

「たまたれ」とはいったい何のことだろう。


1655年、久留米藩2代藩主有馬忠頼が寄進。

田主丸産の花崗岩でできている。


車で上る途中、神籠石があった。

ちょっと寄り道。


いつ、誰が、なぜ、何?

ほぼ不明のようだ。謎の施設。


今のような機械のない大昔に、

こんな重たい石を運んできて、

並べるのは、並大抵のことではない。

何か必死なことがあったに違いない。


伝説では、

もともと地主の高木の神(高牟礼権現)が

高牟礼山(高良山)に鎮座していた。

ところが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、

高良の神が神籠石を築いて結界を張った。

高木の神は山上に戻ることができなくなり、

ふもとの高樹神社に鎮座したらしい。



神籠石の対面に大学稲荷神社があり、

またチョット寄り道。

花のもと赤旗の稲荷神社


筑後のお稲荷さんの筆頭らしい。

江戸時代、京都伏見神社から

「大学」の称号を持つ稲荷神を勧請した。

名に因み、合格祈願者が多いとのこと。


大学稲荷の満開の桜。


途中、さくらポイントに寄り道。

新緑と桜が重なる。春爛漫。


あちこち寄り道しながら、ようやく到着。


 
高良玉垂宮


 
主祭神はもちろん高良玉垂命。

左殿に豊前、右殿に筑前の一の宮の大神を祀る。


江戸期までは神仏習合で天台僧徒多く、

山内に26寺360坊があった。


鳥居を潜り、階段を上がる。


 
八葉石碑残欠


八葉石とは神籠石の古名で、

石碑には神籠石の由来が刻まれていたが、

明治初年、破却された。


なんと愚かな---


県指定天然記念物、樹齢約400年。


クスの木は神木であり、用材として

一切使用しない秘伝があった。


楠は天楠船などとあるように、

古代は造船用材だったのではないか。

船は馬や鉄とともに軍事力であり、

有事の際に独占して伐採できるように、

一般には使用を禁じていたのかもしれない。


貫禄ある社殿。

杮葺き、権現造、1660年建造。

彫り物はカモ、オシドリなど水鳥が多い。


 
蟇股にうさぎ


末社、真根子神社


摂社、高良御子神社

高良玉垂命の9王子を祀る。


 
 
狛犬


中門を潜る。


 
参拝する。


 
 黒地に金ピカの扁額


拝殿内部


ごっつい縁下の組物。


 
内から中門と透塀


 
正面中央、海から飛び出た赤龍。


 
北側から


 
裏に神輿殿があった。


市恵比須神社


大宮司家の祖神、武内宿禰を祀る印にゃく神社


社務所で御朱印をお願いしたら、

コロナ対策のため、紙渡しだった。


展望所の上に筑後の酒が並んでいる。


 
展望所からの眺め1


九千部山、脊振山方面

眼下に広がる久留米の街。

筑後川を渡る高速の白い橋が見える。


展望所からの眺め2


北方、宝満山方面。

右端に筑後川の川面が見える。


菊池武光は、雲霞のごとき軍勢を眺め、

どんな作戦を立てたのか。


階段を下って、神社を後にする。



耳納スカイラインを森林つつじ公園へ。

そこから歩いて高良山頂へ。

高良山は、別名毘沙門岳だった。

山城跡になっている。

懐良親王の伝承がある。


 
山頂からは、

木間に筑紫平野が眺められる。


東にすっきりと形の良い山が見える。

耳納山系、発心山か?


高良大社奥宮到着。


古くは高良廟、御神廟と称し、

武内宿禰の葬所と伝えられていた。


廟か。


 
7世紀後半、高良の神は毘沙門天と習合した。

山頂が毘沙門岳なのが分かった。

初寅祭も毘沙門天の信仰。


飛雲台

満開の桜


飛雲台に句碑があった。

黄色がダブり、「の」もイマイチで、

如何なものか漱石さん


店の方との約束どおり、山頂と奥宮を巡り、

戻ってきた。

話が楽しく、コーヒーもとても旨かった。


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